1992年10月30日金曜日

ナポリ

  ナポリから車で東北約40分の所に塩ビターポリンメーカーのナポリ工場がある。その道中の光景はちょうど私が小学校に行くか行かないかの頃のまだ戦後の日本が残っていた時の状態とよく似たものであった。道は凸凹、所々水溜まりがあり、道路の端には不法投棄のゴミの山、道端に止まっているトラックを見ると日中堂々と建築古材を捨てていた。建物も美しいものは見あたらず、崩れる寸前のものが多く、その中で生活が営まれているようであった。
  もちろん、すべての人の心までが荒れているという事はないようで、工場現場の人達と話する限りは仕事に熱心で親切で、普通の日本の工場の人々と同じであった。
  この工場は昔は麻の工場で古い建物ではあったが、内部は比較的整理されていた。これとは対照的に、公の場があまりにも軽視されているのは、かなりの人々は自分の生活を維持することが精一杯で公共の場の充実まで手が回らないのか、南部の人々の特質なのか、私には公共事業がうまく作用していないことが原因ではないかとの印象を受けた。
  イタリアではかなりの税金が南部に使われているとよく聞くが、そのお金が実際の事業には少ししか回らず、かなりの額がマフィアの様な私腹を肥やす方に使われているのではないかとの疑いは、今回ナポリ付近の現状を見て疑いではなく、むしろそう考えざるを得ないという事を認識させられた。
   この様な問題は、イタリアだけの問題でもなく、程度の差こそあれ日本にもいえることではあるが。