1995年10月30日月曜日

ヴェッツラール

  昨年の12月21日、妻がある機会に知り合いになったドイツラインオペラのコロラチューラソプラノ歌手の番場ちひろさんから、ご自分が出演するオペラの招待券をいただきそのオペラを観ることがあった。この時の出し物はMassenet作曲"Werther"。有名なGoetheの若き時代の自分自身の体験に基づいた小説"Die Leiden der jungen Werthers(若きヴェルテルの悩み)"のオペラ版である。番場ちひろさんは1993年にDortmundで開催された広島被爆者援助チャリティコンサート"HIROSHIMA' 93"のソリストの一人として出演、その演奏会録画が日本のテレビでも放映され見られた方も多いと思う。

 この10月、社長、専務、常務など日本から多数の来欧者があった。専務一行の会社訪問が早く終わり、Frankfurt20:00発の飛行機まで時間があったことから、私の車で近くのどこかへ案内することになった。以前Dueseldorfに駐在経験のある常務の提案からWetzlarへ行こうということになった。初めて聞く町の名前のため地図を調べた。場所はFrankfurtから北へ約40kmにある、小さな町であった。
  町の中心部近くにはその昔世界に名を知られたカメラLeicaの本社があった。それよりもこの町は1771年頃のまさしく"若きヴェルテルの悩み"の舞台で有名であるということを知った。若きGoetheが何度となく訪れた恋人Charlotteの家があった。その家は石畳の町の中心、昔のドイツ騎士団建物の一角にそのまま残され、今は博物館としてピアノ、手紙などその当時の様子をそのまま保存していた。
  ドイツ騎士団領地の法官を父にもつ娘Charlotteは母親が亡くなるとき婚約者を決められる。次女にもかからわず家事、10人の弟妹の世話をする明るくてやさしくしっかりした女性であった。まもなく法律官吏としてWetzlarに赴任してきたWertherと出合う。Wertherはたちまち彼女のとりこになるが、彼女は婚約者と結婚してしまう。その後も手紙などで連絡を取るが、ある日出会った時、彼が絶望的な愛の告白をする。この時歌うアリアがこのオペラで最も有名な"Warum weckst du mich auf, du Fruehlingshauch(なにゆえにわれを目ざますや、春の精よ)"である。しかし、彼女は町を出て欲しいと嘆願し結局Wertherは去る。自殺の心配をした彼女は彼を追うが、彼の家に入った時にはすでにピストルで致命傷を負っていた。この時初めてCharlotteは彼に愛を告白するがまもなく息絶える。Goetheは実際には自殺はしていないが、Goetheの友達の自殺事件をからめてこの話は出来ている。
  現存する道徳、論理的合理主義に対立し、あくまで自分の感情を第一に行動する若きGoetheの生き方がありありと感じられるお話である。人生にとって論理的合理主義一点張りでよいのか。この主義が行きすぎると、人間の最も人間らしい感情というものが無視されることがおうおうにして起こる。また、すくなくとも若い世代は論理的合理主義よりも気持ちの高ぶりを大いに優先させる生き方が必要と思うし、それが若者の特権のように思う。現在我々の回りの若い世代を見ているとむしろ若くして老成してしまっている人が多いと感じるのは私だけなのか。若きGoetheは人間の感情こそすべての創造の源であると云いたかったのではと思う。

 このオペラのクライマックスは何といっても有名なアリア "Warum weckst du ・・・!(なにゆえに・・・)”である。気持ちの高まりを作曲者 Massnet は見事に表現し、聴くものに感情移入させる。今までもCDで Pavarotti や Domingo の歌で何回も聴いているが、生で聴くのは初めてであった。

 歌手はドイツ人テノール Fink。声の音色・ハリの点でラテン系の人々と比べて不利なように感じた。ドイツ人はむしろバリトンで素晴らしい力を発揮するように思う。そうはいっても、肉声で聴く歌声はやはり素晴らしくすっかり堪能したことを覚えている。

 このオペラで番場ちひろさんは Charlotte の妹 Sophie 役で、Werther との間を取り持つ役目の場面に何回も出てきて、コロラチューラソプラノ独特の華麗な歌声を聴かせてくれた。