1994年4月30日土曜日

マンテロ社

  Mantero社はミラノファッションを代表する絹織物、プリント会社で、特にプリントのデザイン、色はすばらしいものがある。さすが伝統ある会社で、会議室も昔の貴族の部屋を思わせる。

  このあいだMantero社での会議に出席することがあった。午前中の会議を終わり、会議を中断して昼食をとった。昼食と言っても、会議室の隣にダイニングキッチンがあり、その食卓で生ハム、パン、チーズを軽く食べる程度の食事である。このダイニングキッチンには社長が集めたという銅鍋類、相当古いものであるが新品同様に磨いてあるスライサーなど骨董価値のある物がズラリと置かれている。

  たまたま、社長が入ってきて、社長も自らスライサーでハムを切り、それをみなさんに配り雑談に花を咲かせていた。突然社長は、私の横にいたThiryさんに向かって、”メガネをかけ、白いワイシャツ、黒ぽい背広、まったく日本人に見える。”と言って、次に私に対して、”ゴルフはやりますか?”と聞いた。突然の事で、つい ”しません。”と答えた。社長の反応は”Wonderful”であった。

  私もThiryさんと同じ様にメガネをかけ、白いワイシャツ、黒っぽい背広を着ていた。日本人ビジネスマンの典型的姿であり、これにゴルフが加わるとまさしく日本のビジネスマンそのものとの理解であろう。

  社長はその後何も言わなかったが、後で色々考えさせられた。ある意味では日本人は画一的と馬鹿にしたという印象もうけ、また客観的に日本人を見て言ったとも思える。日ごろ主観的にしか見ない中で、客観的に見ればどうなのかと考えさせられる出来事である。西洋の個人主義、多様性を言いたかったのかも知れない。

  画一的行動という団体競技は生産向上、品質改良、応用研究には大きな力を発揮するが、創造は個人競技、と良く言われる。西洋の個人主義と創造性とは大いに関係しているということなのだろうか。

  私の日記を読み直してみたら、11年前の日記から次の文章を発見した。

 「1983,6,21,(土)、晴、6時ごろから目が覚めたが、まだ眠たいので6時40分に起床。食事後東那須カントリーへ。Bコースからスタート。前半56、後半46と念願の50を切った。良かったのはティーショット。反省点はアプローチでグリーンの状態を考えてどこへ落とすのが良いか考えるべき。結局、5位。腕時計と大波賞(サイフ)をもらった。帰りの電車では部長、商社の人から初めて50を切ったということで冷やかされた。家には8時ごろ着く。」

  その後まもなくはじめたのがトライアスロン。極限をためしてみようと思ってやり始めたが、やりはじめるとそのおもしろさが分かる。苦しい第一関門は、水泳なら約20分、ジョギングなら数kmの所にある。それを過ぎると楽になりまた続く。さらに、ジョギングなら10kmごとぐらいに苦しい時があるが乗り越えるとまた行ける。この世のいざこざが些細な事と思う境地になる。終わったあとの壮快さはなんともいえない。

  まったく私的な記録であるけれど、水泳3km+自転車140km+ジョギング30kmが私のレコード。かかった時間よりもどれだけ距離を伸ばせるか、これがとりこにしてしまった。今は駐在員という仕事がら時間がとれず、通勤の往復8kmのウォーキングとたまの休日に泳いだりして、そのはしくれをささやかながら続けている。ゴルフはすっかり忘れてしまった。