1994年1月30日日曜日

ノイエス・グーテス・ヤール

牛追い祭りで知られているスペインパンプローナ市庁舎
(年末年始の休みはドイツからスペインへドライブ)
  ドイツに赴任しまもなくソ連の崩壊に代表される東欧諸国の変革による新しい世界観がスタートした。そして今、その後の状況を見ると、旧体制の中で秩序が維持されていたが潜在的に存在していた複雑なヨーロッパの人種、宗教の入り組みによる紛争が出現している。
  しかしこれも、長い間の民族間の貧富の差が潜在的な偏見となり、それを鼓舞する人の力により解決が難しくなっているようである。人種、宗教、文化の関係なくすべての人がゆとりのある生活を維持出来ておれば避けられた混乱と思う。それにも増して東欧諸国の経済状態は決して上向きにはならず問題は深刻化している。冷戦終了後の混沌の中で、ようやく世紀末に向けて新たな課題が見えはじめた。
  それは旧体制への逆戻りではなく偏狭的民族主義の芽生えである。民族主義がいけないのではなく、普遍的ではなく狂信的、排他的、偏狭的なのが問題と思う。偏狭的民族主義は第二次世界大戦ですでに経験済み。第二次大戦の再来が起これば今回はどのような事態になるか想像可能である。
  ロシア民衆の不満が偏狭的民族主義に傾けばその再来が有り得る。西欧の様な民主主義が確立している国では世論を一つの方向に誘導するのは難しいが、ロシアでは自由主義的民主主義はスタートしたばかり、非常に弱いもの。悪知恵をきかせばこの弱い民主主義は簡単に利用され、気がついたときにはすでに民主主義はなく、人の理性が届かなくなる。こんな危険性を感じる。
  このロシアの危険性の可能性についていろいろの意見がある。ドイツのワイマール体制の経緯を、第1次世界大戦の巨額な賠償が経済混乱を起こし、大衆を民主主義よりもっと強力な指導者熱望へ導いたと見る。しかし、現在はロシアには経済混乱こそあれ、他の国はロシアを助けようとしている点ワイマールのドイツとは異なるとして楽観視することも出来る。
  私には2つの思いがある。一つは経済混乱を解消させるための経済援助。ここで言う経済援助は金銭物を与えることではなく、農業工業産業が成り立つように技術、人を援助することを意味している。自分でやって行けるようにその背景を援助すること。
  この点、日本は戦後自ら海外の技術を積極的に導入し成功した。この時、ただの金、物資だけの援助に頼っていたら今の発展はなかった。自分自身がやらなければならないと認識し、またそれに西欧諸国が答えてくれたことが大きかったと思う。日本の場合はその勤勉さから自ら西欧の技術導入の必要性を感じ自ら行動に移したことが大きい。西欧からのお仕着せの導入では魂が入らず今のような成功は無かったであろう。受け入れ側の積極的意志も大切である。
  2番目の思いは、人々の意識の問題として、強力な指導者による体制翼賛的動きを避けられる社会作りである。集団がある方向に進みかけたときNOと言える社会作りが必要と思う。社会集団は個人の集まりでありその集大成が社会であり国という考え方、それぞれの考え方を一つに纏めるのではなく、また人間の欲望で判断するのではなく、人間としての理性で人の気持ちから見てどうかとの判断が可能となるシステムが必要である。
  以前にも述べたけれど論理だけが判断基準になると非常に怖い。論理には詭弁がつきもの、物事を一つの方向に進めることを優先する場合はこれほど都合の良いものはない。
  現代は多様性の時代。いや今まではその多様性を無視して多数決の原理が巾をきかしてきたと言って良いが、これからはすべての理性的人格を認めるという前提に立った多様性を生かすことが人間社会に必要と思う。これが出来て初めて真の創造的社会・集団になるものと思う。
  なにも一つに結論づける必要はない。多数決、論理ではなく、それぞれの理性的判断から必要なものを認め包含できる社会体制が必要と思う。これはロシアのみならず日本でも必要と思うが。
  自然現象と違って人間の社会は人間の意志で動かせる。それは悪知恵によるものもあれば、人間の理性によるものもある。人間は動物であるけれど、理性と理性的感情を持っている。理性は決して悪知恵であってはならない。どんな集団でも悪知恵にたけた人間がいるもので、その刹那ではわが身を得たように見えても、長い目、さらに大きな枠組みでは人にとってなんら利益がないことが分かるものである。
  援助とは人に施しを与えることではなく、自活するのを助けること。英雄を求めるのではなく理性の伴なった多様な人格を認める社会作り。現実には難しいことばかりのように見える。どのような集団・社会でも同じようなことが言えるのであって、その中でそれぞれの人がこの2つの思いでもって行動することが必要なように感じる。その積み重ねにより初めて理性の伴った創造的な集団・社会が出来るのではないか。今年1994年が人の歴史の中で反対の思いにならないよう、良い年であるよう、自分も出来る範囲の領域で心がけたいと思っている。