1995年6月30日金曜日

バルトブルグ城

  DresdenからAuto-Bahn4号線を一路Kasselに向かってドライブすると、Weimarを過ぎてまもなく旧東西ドイツ国境に近づき、前方左小高い山の上にお城が見えてくる。Wartburg城という。このあたりはThuringenの森の北端、Eisenachという町である。この町はバッハが生まれた町として有名で、またこのお城はその昔宗教界のお尋ねものであったマルチン・ルターがかくまわれ、聖書のドイツ語訳を完成させたところとしても有名である。
  この4年間いろいろなプロジェクトが目白押しで出張続きが多かった。しかし、今年に入ってそれらプロジェクトも一部一段落し、出張が少なくなり、そのおかげで前もってプライベートの予定を入れることが可能になった。その一つがオペラ鑑賞である。今回初めて、一か月前から予約を取ってオペラを楽しむことが出来た。曲は「タンホイザー」。このような有名な曲の場合、ある日急に時間がとれて見に行ってもいつも売り切れである。一ケ月前の発売日に即刻売り切れてしまうので今まで見ることが出来なかった。
  舞台はこのWartburg城。話はこのお城に伝わる宮廷歌手の歌合戦伝説とその昔その宮廷歌手の一人タンホイザーの禁断の恋と純愛との葛藤物語。話の内容はありふれたどこにでもある話ではあるが、音楽の力で見事昇華され、人々を圧倒させる。
  ワーグナーは歌劇に新しい試みをしている。一つは、ドイツの昔からある伝説に基づいたドイツ独自の歌劇の創出。それから本来伴奏に過ぎないオーケストラを全面に出しオーケストラが劇の流れを導き、流れを止める独立したアリアを避け、途切れなく歌い語りの旋律が続く点。彼の後半の作品は歌劇とは云わずに楽劇と云われている理由はここにある。オーケストラが全面に出てくる場面が多く、もちろんそれに加えて合唱、重唱、独唱も入り、旋律は官能をゆさぶる。ヨーロッパでオペラが娯楽の一つとして繁栄を続けているのは、劇場で官能を揺さぶるような感動を与えてくれるからであろう。
  ものの本によると、ワーグナーは36才の時Sachsen王国の首都であったDresdenに住んでいた。この時、Dresdenの市民革命に出くわし、市民派につき市民派として活動している。結局市民派は破れ革命は失敗に終わった。その結果ワーグナーには逮捕状が出され、彼は一時スイスで亡命生活を送らざるを得なかった。しかし、49才の時に逮捕状は撤回され、その後バイエルン王ルードビッヒ2世の絶大なる援助を受け彼の音楽を成就させたという。
  若きワーグナーは市民革命に賛同し、晩年は国王の援助を受けた。ナチスがワーグナーの曲を好んで使用した理由は、曲にドイツというものを官能的に意識させる力がある点である。ヒットラーはそれを利用したと思える。もし、ワーグナーが生きていれば、自分の音楽がナチスの道具に使われたことに憤慨したのであろうか。興味あるところである。
  この半年比較的出張が少なかったが、一時停滞中であったプロジェクトの再開、新しいプロジェクトなど出てきており、これからまた忙しくなりそうである。残念ながら今回のようなオペラ鑑賞はもう出来そうになく、従来の突然時間が出来たときに聞きに行くというスタイルで楽しむことになりそうだ。