1996年9月30日月曜日

クロムフォルド

産業革命当時の紡績機械
(クロムフォルド工業博物館)
 その昔、文明としてはヨーロッパよりも中国、中近東のイスラム世界が進んでいたことは、ヨーロッパが絹、羅針盤、天文学など古い文明をむしろ導入した事実から理解できる。しかしこれら中世までの状況は産業革命を節目に一変する。18世紀の後半,イギリスでアークライトが初めて綿紡績の機械を発明、さらにはカークライトが力織機を発明、ここに近代工業がはじまったというのは中学の時習った世界史。18~19世紀の大英帝国の繁栄はここがスタートであった。その中心はダービシャインから北ランカッシャーの地域である。しかしその本格的なスタートの場所がダービーシャインはクロムフォルドであるというのはあまり知られていない。
  1769年アークライトは水力による紡績機械を発明し、まずは小さな規模で生産をスタートした。その場所は現在日本の一合繊メーカーの織物工場もあるノッティンガムである。そして事業を本格的に進めるために1771年に本格的な工場が建てられた。その場所がクロムフォルドという町である。本格的な産業革命はこのクロムフォルドから始まったといえる。この地区には今でもコーツビエラなどのイギリスの伝統あるテキスタイル会社があり幾度となく訪問したことがある。現在では古い煉瓦の工場は一見廃墟のように見えるけれど内部には最新の機械が入れられ付加価値商品の製造が続けられている。地球上で欧米が先進国となった理由は産業革命をいち早く成功させたことの一言につきる。
  イギリスに遅れてヨーロッパ大陸でも産業革命が起こるのであるが、そのスタートもやはりクロムフォルドであることもあまり知られていない。この9月、その産業革命がスタートした旧工場の跡を改造し新しく工業博物館が開館した。その場所はデュッセルドルフから北10kmの所にあるラッティンゲンの町で、その一角はやはりクロムフォルドと呼ばれている。これは、イギリスのクロムフォルドの技術をそのまま大陸に初めて導入、名前まで同じにしたためである。イギリスに遅れること13年、1784年に工場は生産スタートしたという。当時と同じ大きな水車による動力を、皮製のベルトで伝導し、カードから粗紡、精紡の木製の機械を運転して見せてくれる。その後蒸気機関の発明により動力は蒸気になり、さらには電力に変遷してゆく。この近くルール地方には豊富な石炭が産出し,そのエネルギーを使用してこの地区はドイツの重要な工業地帯に発展していったのである。
  スタート当時,安い労働力を求めて,学校に行けない子供を働かせ,一時は500人の労働者の内400人が子供で,残りは女性だったとの記録も展示されている。学校にも行かせず、週6日、毎日12時間の労働をさせてほとんどの子供は健康を害しているという状況の中から、ようやく約70年後に子供保護法が制定されたが、それでも実体は学校6時間、労働6時間となったにすぎなかった。子供の労働がなくなるにはさらなる年月が必要であった。このような初期資本主義の利潤第一主義が作り出した悲しい歴史も展示されている。
  対照的に、この工場を作った人、ビュリゲルマンの自宅はお城のように飾られ、内部は天井、壁に美しい絵が描かれている。工場に接しているこの自宅は別名クロムフォルド城と呼ばれ博物館の一部として公開されている。まさしくお城である。当初の繊維産業がいかに利益のあがる事業であったか。多数の人々の犠牲のもとに産業革命は進行していったことは容易に想像できる。
  まずはイギリスが世界を制覇し、それに遅れてドイツが近代的工業を発達させるが、ドイツは世界の領土分捕り合戦への遅れのあせりからイギリスと対立し第一次世界大戦を引き起こすことになる。さらには第一次世界大戦後の多額の賠償の負担から逃れるためまたまた戦争を引き起こす。このような暗い歴史の大きな原因は結局は産業革命により豊かな物質社会になったにもかからわず,人間の心はまだ貧しく未熟であったためと考える。その未熟さとは弱肉強食の考え方である。生物学的な食物連鎖としての弱肉強食は自然原理と思うけれど、これを理性ある人間社会に適応することは普遍性がなく詭弁である。人間社会の歴史は弱肉強食という詭弁からの克服の歴史でもあるようである。
  この9月,もう一つの象徴的出来事があった。それはルール工業地帯の代表的鉄鋼会社ティッセンの巨大なオーバハウゼン工場跡地に、スポーツ設備、映画館、大ショッピングセンターなどからなる新しい町が2年の準備を終えて開場したことである。産業革命、戦後復興の象徴であった重化学工業のような大量生産型産業は、今ではコスト的に東南アジアを中心とする発展途上国に移転せざるを得なくなった。ルール工業地帯も鉄鋼産業は僅かになり、煙突が建ち並びそこからもくもくとでる煙りの風景はもう見られない。この大レジャータウンのすぐ北にわずか小さなボタ山の跡が見られるだけである。この新しい町は毎日大勢の人々で賑わっている。
  18世紀以後の産業革命を第一次産業革命とすればこの10数年前までは第一次産業革命が続いていたと言える。その流れは、大量生産、効率第一、利潤第一、拡大第一、資源は無限という考え方。しかし、多くの人がその恩恵を享受すると同時にまた、逆に、子供・少女の労働、ばい煙公害、河川の汚染、水銀中毒、オゾンホール、CO2による温暖化、酸性雨などたくさんの人々の犠牲と地球破壊も作り出した。ようやく問題意識が芽生え、欧米を中心に価値観の転換が進められている。
  それは人間として、地球人としてどうあらねばならないかとの観点での実践である。労働環境の改善、労働時間の短縮などはすでに戦後改革が進んできたが、これからはさらに地球規模でのテーマ、セ゛ロ・エミッション、バイオメデレーション、リサイクル、温暖化・酸性雨対策、有限資源の有効利用、ライフサイクルアナリシスなど、検討課題が続々と出てきている。
  すべての人が人間らしい生活が出来る社会となるには産業はどうあらねばならないか、このような考え方で物事を判断することが地球と人類への損失を少なくし、結局はそれがビジネスのメリットになるとの見方。これがまさしくこれからの産業革命,第二次の産業革命ではないかと思う。まだ第一次産業革命の意識から脱皮出来ない人が多いけれど、時代はすでに第二次産業革命が着々と進行しているのを実感する。
  先日の新聞で科学技術論学者の山田国広さんが、それぞれの家庭で“環境家計簿”をつけることを提唱している。企業のみならず家庭でも意識改革が必要になってきているようである。