1996年5月30日木曜日

カルカール

  ライン川の下流、デュッセルドルフから北西100km、クサンテンとクレーフェをつなぐローマ街道のちょうど中間に、15世紀に栄えた町、カルカールがある。人口一万ばかり、その町の中心、中世の町並みの中にラートハウス(市庁舎)とニコライ教会がある。このラートハウスは1445年に完成した煉瓦ゴシック建築で、第二次世界大戦で破壊され、戦後復元されたもの。またニコライ教会は1450年に完成した後期ゴシック建築で、ライン川下流の中で最も美しい教会といわれている。この教会は祭壇画やきめの細かい木彫があり、特に「キリストとサマリアの女」、「ラザロの復活」の宗教画は有名である。この町のまわりはのどかな田園風景で、たくさんの馬、羊、豚、牛が草原の中で自由に遊んでいる。
  この町から東北数キロの所、のどかな田園の中、ライン川沿いに大きなコンクリートの蒸気塔と大きな四角い建物が見える。この建物の数100mの所にはヘンネンペルという小さな村があり、その農家の家々の壁にはいろいろなスローガンが書かれている。「Baustop(建設ストップ)、Narrensicher?(馬鹿でも安全に運転できる?)、Stralen in die Zukunft(将来は放射能)、Wir wollen leben(私たちは生きたい)」 この大きな建物はドイツで唯一のプルトニウム高速増殖炉である。
  しかし、この建物は色鮮やかな万国旗と大きな看板(Kernwasser Wunderland Kalkarと書いてある)があり、どう見ても稼働している原子力発電所には見えない。実は1973年着工され、1985年には発電開始予定であった。しかし、付近住民をはじめ広範な市民の反対運動と、膨大な経費、それに大きな技術的困難に直面し、社会的大論争になった。1985には完成したが、ついに原子力エネルギー政策の転換を迫られ、1991年運転することなく閉鎖することになったものである。そのまま放置されていたが、最近民間に払い下げられ、余暇休養施設(増殖炉の見学、その他娯楽など)として解放されることになったもの。
  アメリカその他での原子力発電所の小さな事故や、それに決定的なチェリノブイリ原発の爆発事故で、世の中は原子力発電所をこれ以上増やさない機運になってきた。そんな中でこのカルカールのプルトニウム高速増殖炉は建設され、結局安全性の問題からドイツはプルトニウム利用から撤退したのである。世界的にもプルトニウム利用は危険との判断から各国とも撤退したが、日本のみが開発を続けている。世界の人々が心配していたとおり、高速増殖炉「もんじゅ」は運転まもなくナトリウム漏れを起こし、再検討を余儀なくされている。
  科学技術の発展にはある程度の危険を覚悟せざるを得ない場合もあるが、原子力と遺伝子操作はこの範疇には入らない。一度扱いを誤れば人類存続にとって取り返しのつかないことになるからである。チェルノブイリの事故後すでに十年が経過したけれど、放射線によるガンをはじめとする遺伝子病はますます増加し、もう取り返しのつかない状態になっている。何十年、何百年の人体実験が着々と進行している。遺伝子操作も同じような心配がある。
  高速増殖炉はプルトニウムを燃焼させそのときに出る中性子により、豊富に存在する核分裂しないウラン238をプルトニウムに変換する。このように、運転するだけでみずからプルトニウムを生産する高速増殖炉がなければ日本のような資源のない国では将来の電力需要をまかなえないと言いきり、その他の意見に耳を貸さず秘密のうちにことが進められることほど恐ろしくて危険なことはない。
  何でも強引に前に進めないと幸せはないとの論理が、結局はばい煙公害、水俣病、いろいろな薬害など大変な犠牲者を生み出した原因のようである。その推進者は、たとえ犠牲者が出ても認めようとせず、また認めたとしても全体の中では少数と無視し、その責任すら感じていない。これが現在の日本の行政と言える。この体質は旧ソ連の官僚体制と同じように思える。
  原子力のトラブルが起これば、犠牲者が少数では終わらないこと、その影響が子孫にまで続いていくことを認識する必要がある。トラブルがあれば人類の存続に大きな影響を与える技術開発は、慎重過ぎても慎重すぎることはない。情報をすべて公開し、自由な雰囲気の中で十分な議論をしたうえで理解が得られなければこのような開発は進められないようにするシステムが必要のように思う。
  ドイツのこのカルカールの高速増殖炉が余暇休養施設に変わったのは、良かったことか、悪かったことか。それは将来しか分からない。増殖炉がないために電力が不足し豊かな電化生活が出来ず不自由な生活をしているかもしれない。それでは、増殖炉が稼働していたらどうだろうか。今以上の便利な電化生活を楽しめる可能性はある。しかし、それと同時に、チェルノブイリ以上の大事故により多くの人々の命がなくなり、生存しても後遺症に苦しむ可能性もある。確率的にこのような事態がゼロとは言い切れない。
  いろいろ可能性はあるけれど、とにかく今はっきりと言えることは、増殖炉の断念により、このカルカールの古い町並みと、美しいラートハウス、ニコライ教会、それにまわりののどかな田園風景は将来とも維持され、まわりの自然の中で人々の生活が脈々と続くことは間違いない。人々が生き続け、生活し続けられるという保証の方が、生活の不自由さより優先されなければならないと私は思う。
  電力の心配があるなら、もっと安全な方法、たとえば太陽エネルギー、風力、海流などを利用した方法など開発すべき技術はたくさんある。これら安全な方法の開発に集中すれば必ずや代替えエネルギーが得られるものと思う。