1996年2月28日水曜日

グリュンコール

  ドイツに赴任してすぐの1991年の2月、-10℃~-15℃の日が続いた。デュッセルドルフの南にあるベンラート城の前の池は完全に凍り、たくさんの人がスケートを楽しんでいた。このお城の庭園には500mくらいの細長い池がある。いつもは白鳥やカルガモの住みかであるが、完全に凍ってしまって、即席のアイスリンクとなり、子どもたちがアイスホッケーに興じていた。
  話はそれるけれど、この厳寒の時に、前任者の送別会としてゴルフをしたことを覚えている。前任者はことのほかゴルフが好きだったことから段取りされたものだけれど、池のみならず地面、芝生すべてが凍りついた所でのゴルフであった。地面が凍っているためキーが立たない。後で知ったことであるが、このためにゴム製のボール立てがあるという。ほとんどキーが使えない状態で、ボールはどこかへ跳ねて不明になる。池に入っても氷に跳ねてロストボール。ボールは数え切れないくらいなくしたような記憶がある。このような悪コンディションでも上手な前任者はちゃんと実力を発揮した。それに反して、私のようなへたくそは初めてコースに出たときよりもまだ悪いスコアーであった。あの寒さが、冷めかけていた私のゴルフ熱を完全に凍らせてしまったように思う。
  その後、この5年間このような寒波はなく、ドイツの人々からドイツには本格的な冬はなくなったとさえ聞いていた。それに加え夏が極端に暑くなり、地球の温暖化といわれる現象をまさに経験し、もう寒い冬は来ないだろうと思っていた。が、この2月、日本からの出張者と共にポーランドを訪問したとき、寒波がやってきた。
  ポーランドの古都クラッカウを訪問したとき-22℃。クラッカウから訪問先のウクライナ国境に近い町サノックに向かう車はヂーゼル車。走り出してまもなくトラックを追い抜こうとしたが、ブスブスといやな音をたてはじめ失速してしまった。寒さのため軽油が気化しないためである。運転手はゆっくりと走って近くのガソリンスタンドに車を止めた。運転手は車にアルコールを飲ませるといって、軽油ではなくガソリンを入れた。ガソリンのおかげでまた正常に走り出したが、まもなくまたのろのろ運転。再度ガソリンを入れる。また動き出す。何回繰り返しただろうか。とうとう、ガソリンスタンドのないところで完全に止まってしまった。運転手は民家にガソリンをもらいに出かけた。そして再度動き出した。車の中は暖かいためにガラスの内側が曇るがガラスが冷たいことから内側が凍っている。日が昇るにつれて若干気温があがり、その後何とか目的地までたどり着けた。外に出るとすぐ耳たぶが痛くなり、10分も外にはいられない世界であった。
  通勤のウォーキングをはじめて早いもので4年が過ぎた。往復8kmのライン川沿いの道を、土砂降りでない限り、寒い日も、暑い日も歩き続けている。ウォーキングを始めてから今まで寒くてもせいぜい-5℃ぐらいだったので、むしろ朝の引き締まった空気の肌をさす気分が気持ち良いこともあり、通勤のウォーキングが楽しみの一つになっている。
  ポーランドから帰ったあと、-10℃の朝もウォーキングで通勤。この寒さではいつも出会う人とは会わないだろうと思っていたがそうではなかった。乳母車を押して散歩している奥さん、犬を連れて散歩しているおばあさん、町なかのホッフガルテンで出会うおじいさんのグループ、いつものみなさんに出会った。さすがに寒いので耳カバーがなければ歩けないが、早足で歩くとこの寒さでも15分ぐらいで体が暖かくなってくる。聞くところによると、赤ん坊の時からこの寒さを体験し皮膚を刺激することが健康を維持する一つの方法という。ウォーキングをずっと続けてみると、ドイツ人の生活の知恵が理解できる。
  このような背景からか知らないがドイツ人は散歩が大好きである。時間があればそれぞれ散歩を楽しんでいる。ドイツは積極的に自然を残す努力をしている結果、大都会でさえ必ず近くに散歩できる森、公園がある。またグループで森を歩くヴァンデリンググループもたくさんある。
  先日の土曜日、ヴァンデリンググループの一つに参加することができた。このグループ、若い人で20歳代、最年長で87歳。このおばあさん、赤いゴアテックスのようなジャケットを着てヴァンデリングシューズで決めている。坂ではゆっくりとなるが、普通の森の道では若い人と変わりのないテンポで歩くのには驚いた。
  2時間のヴァンデリングの後は森のはずれにあるレストランで食事をする。料理は有名な冬のドイツ料理、グリュンコールである。この野菜はほうれん草の2倍以上の大きな葉っぱでしかも冬霜が降りると味が良くなるという寒い冬の貴重な野菜である。その葉っぱをきざみ豚肉のだしなどで煮込んであり、大きなお皿一杯に盛られている。その上におおきな豚肉のスライスと太いソーセージが添えられる。量はたっぷりである。
  87歳のおばあさんはぺろりと食べてしまった。わたしは、塩辛いのと、ソーセージの油っぽさ、量の多さに閉口だが、時間をかけてなんとか食べた。もちろん飲み物はビール。デュッセルドルフ特有の黒いアルトビールを何杯も飲んでいた。最後に食後酒シュナップスがついており、このきつい味の料理にはすっきりして合っていた。寒い冬を過ごすための生活の知恵としての料理と理解できたが、この量と油っこさ、それに塩辛さでは日本人にとって毎日食べられるものではない。
  カーニバルが過ぎるとようやく寒波も一息ついた。春の新芽に備えてライン川土手のプラタナス並木の枝の剪定が始まった。ホッフガルテンの池に遊ぶカルガモたちも雄、雌ペアーの動きが活発になってきた。今年はいつカルガモ親子の行列が見られるのだろうか。昨年は4月4日(火)と私の日記には記されている。春が近いことを感じる。