1994年9月30日金曜日

パヴァロッティ

  9月3日の日曜日のお昼間、テレビZDF(Zweites Deutsches Fernsehen、ドイツのNHKに相当するテレビ局の一つ)でDie drei Teneoneという番組が一時間半にわたって放映された。これは、この夏アメリカで開催されたワールドカップサッカーの催物の一つで、その時の録画放送であった。

  Die drei TeneoneとはCarreras, Domingo, Pavarottiをさす。いずれも今を代表するテノール歌手である。この三人が、ロスアンジェルスの野球場特設会場に集まり、テノールの美声を披露した。Carreras, Domingoはスペイン系の人、Pavarottiはイタリア人、いずれもラテン系の人々。テノールの音域はラテン系の人々に向いているのか。その響きは天にも届きそうな迫力である。

  Pavarottiは、10年程前CDを買って以来聴いて楽しんでいる。もともとイタリア民謡が好きで、自分でも真似ごとで歌ったりするので、CDが開発されたときぜひそのたぐいの曲の入ったCDを買いたいと思っていた。その時買ったのがPavarottiであった。それ以来、彼の声の美しい音色に魅せられてしまった。高音Cがピアニシモで響く。テクニックもさることながら、音色は、私には世界で最も美しい声ではないかと感じられる。今回、三人が並んで歌ってみて、この気持ちを確認することが出来た。ドイツに来て、Domingo, Carrerasの二人はよくテレビで見ているが、Pavarottiをテレビで見るのははじめてでもあった。

  イタリアの撚糸機メーカーにRattiという会社がある。この会社の技術責任者にGrazioliというおじさんがいる。背は私より低いが胸幅は大きくいかにも現場のおじさんという感じの人である。

  技術検討の後、私はカンツォーネが好きで、例えばといいながらTorna a Solentoを歌いだすと、この彼がすごいテノールで歌いだした。その歌声は完全にベルカント唱法のテノール。わたしは歌うの忘れて、聴きほれた。イタリアでは、彼のようなテノールは至るところにいると聞いている。ちょうど日本では演歌をプロ並みにうまく歌う人がたくさんいるように。イタリアではテノールが演歌歌手に相当しているようだ。その頂点に立つのがPavarottiであろう。

  しかし、彼と同じくらいのレベルの歌手はたくさんいるのであって、彼でないと歌が楽しめないということはない。なんでも、その道の知名度の高い人だけがその道の第一人者とは限らず、紙一重で有名になっていない人、あるいはむしろ知名度NO1よりも実力のある人はたくさんいるものである。

  スポーツのように勝負で決まる場合は順位ははっきりするが、人間の感覚で判断する世界、音楽、絵画などはあるレベル以上になると判断は出来ず、好みの世界になる。たとえその道の権威者が素晴らしいとほめたたえても、自分が気に入らなければ、その人にとってはなんの価値もない。まったく個人で判断すれば良いことである。有名だからという理由だけで、また権威者が推奨するからと好きでもないのに聴きに行くことほど意味のないものはない。音楽を楽しむのに知名度NO1の人でないと出来ないことはないのである。

  私がPavarottiのような歌を聴いていても、我が娘は全然無関心である。車で運転しながら聴いていると、後部席から自分の好みのテープを差し出してかえてくれという。私にとってはこの音楽を理解してくれないのが残念であるが、ある意味では自分で気に入ったものを楽しむ、他人がするから、他人が勧めるからではなく自分で判断していることにうれしくも思い、娘の要望に従ってテープをかえることになる。

  今月、Rattiを訪問したとき、すでにGrazioliさんは定年退職し、会社にはいなかった。もう一度彼のテノールを聴きたいと思っていたが残念である。が、それと同時にヨーロッパに滞在する間に、ぜひともPavarottiの生の歌声も聴きたいと思っていた。しかし、前もってミラノスカラ座のPavarottiの出演する日を調べ、切符を手に入れることはかなり難しいようである。それよりも、先日出張の飛行機の中で雑誌を読んでそんなことを考えるのはやめることにした。Pavarottiはすでにあの美声で何百億円の財産を築いているという。馬鹿らしくなった。これからも自分で歌って楽しむことにしようと思う。