1995年8月30日水曜日

Hundstage(盛夏)

 ネス湖
 野生のアザミ(スコットランド・グレンコー近く)
ストーンヘンジ
  この夏ヨーロッパも昨年同様暑い晴天の日が続いた。8月のドイツの新聞Rheinische Postに、もうくたびれたというなさけなさそうな犬の顔面アップ写真がのった。その説明に、「Wenn moechlich, cool bleiben:Die Hundstage dauern noch bis 23, August.」(出来れば涼しくなって:暑い日はまだ8月23日まで続く。)と書かれていた。この暑い盛り、フェリーでドーバー海峡を渡り、イギリスはブリテン島を車で一周した。
  ブリテン島は大きく分けると南のイングランドと北のスコットランドからなる。その境に近いところNewcastleからCarlisleの海岸にいたる東西約120kmの地帯に、ローマ帝国皇帝Haidorianは万里の長城と同じような長い防壁を建設した。ここから北へ向かうとイングランドののどかな丘陵地帯の風景から一変し、ヒースの潅木しか見られない山々の風景になっていく。この北はスコットランド、風景とともに民族も文化もイングランドとは異なる。
  その昔、シーザーがイングランドに侵攻、この地点まではたどり着いたが、その後さらなる北上は出来なかった。むしろスコットランド人の攻撃から守ることの必要性からこの大きな防壁が作られたという。まわりは延々とした丘陵が続き、その丘陵の尾根のところどころに、高さ5m、巾約3mの石で積まれた防壁が残っている。その近くの丘陵地には羊が群れをなして草を食べている。
  この防壁には数kmごとに監視用砦があり、それに多くの要塞があったという。その一つであるChester Fortに立ち寄った。昔、ここにはローマ時代の建物があった。ローマ風呂などの遺跡が残っており当時の様子がうかがえた。当時イングランドはローマ化されたが、スコットランドはもちこたえた。ローマ人との戦いはその後も続いたと思われるが、その戦いについての足跡には出会うことは出来なかった。
  ローマ人はローマ文化を持ち込みイングランドはその影響を受けたが、スコットランドはその影響を受けず、独特の文化を守ったのではないかと思う。スコットランドの独立心はこの時からはぐくまれ、イングランドへの併合の際の抵抗も、民族の違いのほかにこのローマ時代からの伝統があったからかも知れない。
  さらに北上し、スコットランドの首都Edinburgh、ネス湖の町Innverness、イギリスの最高峰Ben Nevisをドライブすると、風景はちょうど雪のないスイスの山々のよう。イングランドの自然とは全く異なり、別の国であるとの印象を受けた。
 スコッチウイスキー、タータンチェック、バグパイプ、これらはすべてこの自然があってはじめて育ったに違いない。それに、ローマ帝国の影響を受けず独自の文化を育てたとも思われる。いまイギリスといえばイングランドを指すことが多いが、文化に関してはこのスコットランドが巾を利かす。しかし、他の国の人々がイングランドの文化と認識してしまう所にスコットランドの人々の腹立たちさがあるように感じる。バーバリーチェックも本来はスコットランドの製品と云いたいのだろう。
  スコットランドの工業都市Glasgowでは、古い煉瓦の建物が壊され新しい建物が建ちつつあり、造船工業などの衰退からようやく立ち直りつつあるように思われた。新しい産業は重化学工業ではなくコンピューターを中心とした産業それにサービス業のようである。イギリスの凋落を挽回する旗手となったサッチャー前首相のスローガン、「自分の働きで身を支えていくことのできる人間は1ペンスといえども国家の福祉を期待すべきではない」は、この近くの炭鉱ストライキに対する彼女の強硬な政策の背景にあった。現在のGlasgowを見るとその効果が出て来つつあるようである。
  しかし、イギリスの一人当たりのGDPはドイツの55%、依然としてその差は大きい。ドイツとの比較でまだ大きな問題があるように思う。人間生まれてすべての人が同じ条件でスタート出来ればサッチャー前首相のスローガンも理性にかなったものとなる。現実はそうではない。生まれながらにして大きな差がある現実のもとでは人々のやる気はなくなる。外国企業の誘致もいいけれど、イギリスのさらなる活性化には、サッチャー前首相のスローガン通りやろうとしている庶民がやる気を起こさせるような社会作りにあるように思う。ドイツとの対比でイギリスの内在する問題点を感じざるを得ない。