1996年10月30日水曜日

ギムナジウム

  海外勤務で困ることの一つに子供の教育がある。将来とも海外で生活することが確実ならばその国の教育システムに乗せその国で教育を終えることもできるが、駐在員の場合ほとんどはいずれ帰国し日本の学校へ通わすのが普通で、帰国した後の編入・入試は大変なハンディになるとされていた。我が次女の場合デュッセルドルフの日本人中学校を卒業後、高校一年からアメリカ系インターナショナルスクールに通い今年6月卒業した。今、日本へ帰国し受験勉強中である。
  しかし、外国の教育システムで2~3年教育を受けると普通の一般入学試験ではなく特別帰国子女枠での試験が受けられるという特権が与えられるようになった。そのおかげで一般入試では合格出来そうもない学校にもいけるようになった。実際、デュッセルドルフインターナショナルスクールからは毎年そのほとんどの卒業生が国立のトップ大学、私立のトップ大学に入学しているのを見るとこの制度の特徴が良く理解できる。わが次女も今回その恩恵にあずかることになった。
  ここドイツでは日本のような大学をめざした受験戦争はほとんどない。小学校4年生で将来の進路を決めるのはちょっと早すぎるとは思うけれど、4年の後5年生からはそれぞれの進路に別れていく。大学をめざすのはギムナジウムという9年制の高校である。大学をめざさない子達は実業高校などに進み就職し、再度技術を身につけるためにマイスター学校へ行きマイスターの資格をとる場合も多い。この場合必ず実務経験と共に理論もマイスター学校で修得するようになっている。ドイツの有名なマイセンの陶磁器技術もこのマイスターによって支えられており、世の中からその技術は高い評価を得ている。
  なぜ受験戦争がないのか。大学進学コースであるギムナギウムの入学には大変な競争があるのではとの疑問が出てくる。しかし、現実には日本のような中高一貫の私立中学めざした小学生の異常な塾通いは見られない。それはギムナジウムにたとえ入っても2年間は仮の期間で入学後は毎日大変な宿題やレポート課題が出されそれについて行けなければ退学となるためである。定期試験に合格点をとるのみならず毎日の課題をこなすことが必須である。たとえ2年過ぎたとしてもこのような環境はずっと続くためその後にも退学、実業高校へ編入する人が結構いるという。知り合いのお子さんがギムナジウムに通っているが、入学時1クラス32人いたのが5年経った今24人に減っているという。ついていけず退学して行ったのである。それ故みんなが無理して入っても意味がないと判断しギムナジウムに子供が殺到しないことになる。とはいってもギムナジウム希望者は増える傾向である。選抜は小学校の先生の推薦が重要な役目をはたす。先生、子供、父兄の三者で話し合って進路を決めることになっている。父兄がぜひともと依頼することもあると聞くが、入学しても結局は退学することが多いという。
  それでは塾は皆無かというとそうではない。数はわずかであるがナッハヒルヘ(Nachhilfe)という民間の補習塾がある。これは文字どおり、ギムナジウムに入った後ついていけない子供を助ける目的で民間の人が独自に営んでいる。能力のある子にとっては学校と家での自発的な勉強が当たり前になっており塾など不要との考え方が一般的である。
  ギムナジウムでは単位を取ると共にアビトゥアという大学入学資格試験に合格すれば大学入学資格を得ることが出来る。これは定員何名というものではなく各学科のある点数以上をとればとれる。また合格したからといってすぐに大学に入れるとは限らない。資格をとればドイツのどこの大学にも入学出来るが、定員があるため自分の希望する大学の欠員がないときは待つことになる。そのときの決まる順序はアビトゥアの点数の高い人から決まる。基本的には日本のように偏差値による大学のランクづけのような考え方はなく、各自はおのおのの多様な目的に従って大学を選んでいる。各大学の格差が少ないこともこのような選択を可能にしている。それでも、医学部の人気が高いのは日本と同じであり、福祉国家ドイツでは同じように福祉関係の学部、獣医学部も大変人気があるという。
  そして大学に入る時期はそれぞれバラバラ。要するに欠員が出来れば次の点数の学生に入学許可が出され単位をとり始めることになる。全員を集めた入学式、卒業式などない。卒業も必要な単位を取り、論文が通ればその時点で卒業、時期は決まっていない。だから入学もバラバラになるわけである。
  ドイツの大学は年限的には日本の大学2年から大学院修士1年までの4年間で、単位は非常に取りにくく4年で卒業する人はほとんどなく、ましてや最低年数2年で卒業する人もいない。早い人でも5年、普通6~7年という。ドイツの大学を出ると与えられる学位Diplomは日本では修士に相当し、その上は博士コースとなる。もう一つ忘れてはならないのがドイツでは小学校から大学まで授業料は無料、どんな貧しい家庭の子供でも能力さえあれば勉強できる。ドイツの活力はこのような教育制度に支えられているところが大きいと感じる。
  ドイツのみならず我が娘の通っていたインターナショナルスクールも日本とはあまりにも違いがある。毎日たくさんのレポート課題が出る。それをこなすには毎日深夜1~3時までかける必要がある。しかし、必ずしもすべてこなす必要なく、できた範囲でも良いのである。しかし、成績は定期試験とともにこの毎日の課題が重要なウェイトを占めることになる。
  また課題は難問を解くのではなく、調べて考えをまとめてレポートを書くのがほとんど。数学、物理、化学の場合は確かに問題を解くという宿題も出るがその問題は習った定理、法則を駆使して解く難問はない。本質を理解させるように工夫した問題ばかりである。自然現象の本質を理解していない場合にはかえって受験の難問より難しい。
  さて日本はどうであろうか。小学校からの塾通い。東京本社に勤務していたとき夜遅く地下鉄千代田線西日暮里駅からどっと乗ってくる塾から帰宅する子達の群を毎日のように見た。日本では当たり前になっている光景であるが誠に異常である。人間としての生き方を無意識のうちに形成していく幼稚園、小学校時代、試験の点だけが人生の目的のような生活。幼いとき子供らしい正常な生活を送り自我が確立してからの受験勉強は目的と手段の区別がきちんと認識され問題は少ないけれど、まだ頭脳細胞の回路がつながりつつある時点での点数至上主義の生活体験は、無意識のうちに偏狭な価値観、特権意識を植え付けていく。昔軍人、いま官僚。このような幼少時代の異常な生活が生んだ結果と私は理解している。
  ドイツへ来て2年目の夏、日本のトップ大学医学部の教授がハノハーでの学会の出席のため来欧された。わが社も医薬事業があるため今回はわが社が面倒を見ることになり、ちょうど医薬担当の駐在員が夏休みであったため私が一週間アテンドさせていただいた。非常に気さくな方で話しやすく安堵したが、そのときのその教授の話。我が医学部に入ってくる連中はほとんどが6年制の中高一貫私立高校出身者で占められ概して入学後の成長は鈍く、大学院に至ってはほとんどは他の大学から入ってくるとこぼしておられた。
  大学はすでに知られた法則を駆使して難問を解くことが目的ではない。今までにない事実の発見、法則の発見、新しい技術の創造など無からのクリエーションが目的である。それには物事に対するこのうえない興味と持久力のある探求心、それに加えて思考の過程で、子供の時から大人に至る無意識のなかでの生活体験から出てくるちょっとしたヒントが効いてくる。記憶力がよいとか問題の回答を早く導き出すとかいう能力とはまた違った、別のパワーが必要とされる。
  明治以後、後進国日本は欧米にキャッチアップするため今の教育制度を完成させた。現在韓国、台湾、中国、東南アジアなど発展途上国といわれる国々も、大学へ入るための競争は日本と全く同じ様相と聞いている。日本の社会レベルはすでに欧米に届いたにもかからわず、その人の養成方法は現在の発展途上国となんら変わらず欧米キャッチアップ型のままであるということである。これから先、日本はお手本のない世界を歩こうとしているのにこのままの人材育成体制ではお先真っ暗と心配する。これからは、人間のクリエーションをいかに引き出すかという所に重点を置いた教育体制が望まれている。ノーベル賞の自然科学の分野ではダントツに欧米からの受賞者が多いのはこの教育の基本的違いから来ているのであろう。
  解決法はないのか。教育の改革は非常に難しいようである。なぜなら制度として改革が出来る立場にある人々は今の受験戦争の中での勝利者であり疑問を感じることがないからである。今から思うとちょうど我々の大学時代の全共闘運動が現在の教育の問題点をいち早く察し改革をめざしたもであったのかと思える。全共闘運動挫折の後日本の教育はいまの現状にまっしぐらに進んで行ったと言える。
  インターナショナルスクールを卒業した学生は一般受験なら合格するはずがないトップ大学に入学して立派な学業成績を残しているという。むしろ受験勉強を勝ち抜いた有名高校の学生よりも伸びるとの話も聞く。このような実績がはっきりしてきたことから帰国子女枠採用の大学が増えている。これはインターナショナルスクールでの勉強法は大学のようなクリエーションの世界では有効であるとの証明であろう。しかしそれだけではないと考える。クリエーションのパワーはいろいろな所に潜在している。受験競争を勝ち抜いた人にももちろんその可能性はある。さらには落ちこぼれていた人、就職経験のある人、それぞれにクリエーションの可能性はある。クリエーションの世界とはこのような多様性を基盤として開けていくものと思う。
  日本の高校卒業者で受験戦争に加わっていない人の中にもクリエーションの世界では活躍できる可能性のある人がたくさんいると考える。改革の基本は帰国子女のような特別選抜の枠をもっとを広げ、一般入試をやめることではないかと思う。すでに工業高校卒業生だけの枠、一点能力だけで選抜する方法、推薦制度など実施されている。しかし、一般入試をそのまま残しておいては逆に大変な不公平である。一般入試を全廃し、すべてそれぞれの特徴ある多選抜方式を採用するのが唯一の解決策のように思う。定員100名なら30名は公立普通高校から、25名は6年制私立高校から、15名は社会人から、15名は実業高校、10名は高等専門学校から、5名は帰国子女などのように。そしてそれぞれの試験はそれぞれに適した違った尺度で選抜する。まずは国立のトップ大学がこのような改革を英断すれば日本の教育も21世紀に向けたクリエーションを尊ぶ体制に変換できるのではないかと思う。
  デュッセルドルフで実際あった話。まだ小学校低学年のお嬢さんがいる若い夫婦が、同じ頃デュッセルドルフにやってきた。近所同士で、しかも日本人小学校も子供が同じクラス、すぐに親しくなり家族ぐるみのおつき合いが始まった。塾(デュッセルドルフにも日本人目当てに塾が進出している)の他にいろんな習い事で両お嬢さんとも時間を刻むような毎日の生活。ある日学校で一方のお嬢さんがもう一方のお嬢さんに「お父さんは日本で一番難しいA大学を出てるの。」といった。一方のお嬢さんも「うちはお父さん、お母さんともB大学(日本で2番目に入学が難しいとされている大学)出ている。」とやり返した。そしてある日学校で物がなくなる事件が起こった。すぐにA大学のお嬢さんがB大学のお嬢さんに「あなたでしょう」と疑いをかけた。その夜、B大学の奥さんがA大学の奥さんに抗議の電話をかけた。A大学の奥さんが「当家としましては今後おつき合いしかねます」といって絶縁状態になってしまった。気まずくなったのか、まもなく両奥さんとも子供をつれて帰国、今では両ご主人とも単身でデュッセルドルフ暮らしをしておられる。個人的に両方のご家族とおつき合いがあったことから、言葉をはさむこともなくこのような話を両方から聞いた。今の教育体制が生んだまことに先の思いやられる出来事と思った次第である。