1994年10月30日日曜日

礼状

  こちらから招待したわけではないけれど、この夏我が家は娘二人の友達が同時期に滞在し、てんやわんやで誠に忙しい日々を過ごした。4人家族が一時的に6人家族になり、その中で男性は私だけ。二人のお客様は誠に可愛らしく、滞在の間我が家は華やかで賑やかな毎日となった。

  しかし、華やかな日々を過ごした反面、毎日仕事が終わればすぐに帰宅し車で各所を案内、また土日も車でパリ、フォンテーヌブロー、ベルサイユなどフランス各所を案内、睡眠不足と気疲れ、とくに事故、トラブルがあってはならないと気を使うためたいへん疲れた。最終日、ご両親様宛、滞在中の様子を手紙に書きそれぞれに託した。

  デュッセルドルフのホテルニッコーからフランクフルト空港行きバスに乗せ見送り、何のトラブルもなく無事帰っていただいて安堵した。すぐに二人から、それぞれ自分自身で書いた礼状が届き、たいへん喜んでもらえたようでうれしく感じた。

  その後まもなく、一方のご両親からは丁重な礼状をいただきたいへん恐縮するとともに、私たちの心労が報われた。実は、心の中ではご両親からの返事を期待していたのであって、手紙を受け取ることによりすべてが完了したと思えた。しかし、もう一方のご両親からは二ヶ月たった今でも何の連絡もない。一件終了とは思えず、まだ何か続いているような感じである。

  ヨーロッパでの有名な話しではあるが、その昔フランスで子供がチョコレートをもらったとき子供はすぐにお礼を言ったが、側にいた親は何も言わなかったという。そこには子供も立派な人格として認め、子供がもらったのであって親がもらったのではないという、親子でも個人が優先するという考え方がある。個人主義の一つの例であり、なるほど一つの考え方でもある。ものごとは考え方一つで判断はかわるという例かもしれない。

  日本で生まれ育った私にとっては、子供はすべての面で親の保護にあるとの考えが身に滲みており、フランスでのこの話しは感覚的に馴染まない。しかし、自分の気持ちの整理には大いに使える考え方であり、返事はまだかと思いつつ、このお家はおそらく西欧風の考え方で生活しておられるのだろうと理解することで気持ちも落ちつく。もう手紙がくることはないと思う。