1996年3月30日土曜日

ウイリアムズタウン

  我が家に二つの油絵の再生画がある。一つはモネの”睡蓮”、もう一つはルノワールの”コンサートにて”である。睡蓮についてはすでに各所の美術館で本物に出会うとともに、またフランスはジベルニーにあるモネの住居跡を訪れ、その庭にある睡蓮を鑑賞しモネが自然をいかに表現しているか実感した。しかし、もう一つの絵“コンサートにて”は今までなかなか本物に出会うことが出来ず、どこに本物があるのかいろいろな美術書を当たって探していた。パリのオルセー美術館にある“ピアノに寄る娘達”は何回か本物を見ているが、この絵と“コンサートにて”の描き方は、再生画を見る限り全く異なっているように私は感じ、ぜひとも本物を見たいと常々考えていた。ようやく昨年、アメリカはウイリアムズタウンのスターリング アンド フランシーヌ クラーク アート インスティチュート(Sterling and Francine Clark Art Institute)にあることを突き止めた。
  18年前、我が家に二人目の娘が誕生したとき、なにか娘達にふさわしい絵はないか探した。たまたま再生画の“コンサートにて”に出会い、将来娘達にもこのようなコンサートでの場面があればと願いつつ、黒と白のドレスのコントラストとそのなかに鮮やかな色彩の花束が入ったこの絵が気に入り、その作者が誰かとも知らずに買い求めた。その後まもなく、再生画自体にルノワールのサインが入っていることに気がつき、その作者を知った。それ以来ずっと東京、デュッセルドルフと我が家に飾られ、一方では実生活においても何度かこの絵と同じような場面を経験してきた。
  この3月アメリカ出張の際、日曜日を利用してマサチュセッツ州にあるこのウイリアムズタウンを訪問することを試みた。ニューヨークの北250km、ハドソン川に面したニューヨーク州の州都オルバニーから東へ車で約1時間、峠を越えると低い山に囲まれた盆地にこの町ウイリアムズタウンがあった。距離にして約50kmであった。町自体は小さく人口数千人といった感じである。この町の南はずれの森の中に茶色いタイルと白い外装の二つの建物が連なった美術館、スターリング アンド フランシーヌ クラーク アート インスティチュートがあった。
  この美術館は観光名所としてはほとんど知られていないことから、見学者はわずか数人であった。スターリング クラークが1910年代パリに住んでいたとき、その後夫婦でウイリアムズタウン近くの町に住んでいたとき、当時のフランス美術界のアカデミックな風潮に影響されることなく自分たちの好みに従って絵画を買い集めた。それらを公にするため1955年に夫婦でこの美術館を建てたという。作品の蒐集は夫人との共同作業であったことから夫人の名前フランシーヌが入っている。
  1894年一人のルノワール蒐集家がなくなり、その遺言で作品をフランス政府に寄贈することになったが、このような輪郭がはっきりしないぼけたような絵は引き取るに値しないとして当時のフランスアカデミーは猛反対した。その結果引き取られなかった作品が各国に散らばってしまうことになった。フランス政府が引き受けたルノワールの作品はパリのオルセー美術館で見ることが出来るが、かなりの作品が各国の美術館に散らばってしまった。その美術館の一つがこのスターリング アンド フランシーヌ クラーク アート インスティチュートである。
  この美術館に集められているルノワールは彼の後期の肉体感豊かな女性の絵はなく、むしろ中期頃の目元がきちっと描かれた比較的細身の肖像画と人物画が多く、また色彩が豊かで鮮やかなものがほとんどであった。ルノワールの初期から中期の作品は当時あまり評価されず、晩年になってようやく評価されるようになった。イレーヌで有名な女の子の横顔の絵は中期の作品で、ある資産家の奥さんがあまり売れていないルノワールに自分の娘の肖像画を書かせたもの。奥さんご自身の肖像画は当時もっと画料の高かったた別の画家に描かせたという。その画家はその後誰も知らない存在となり、いまではルノワールの描いたイレーヌだけが世界に知られることになった。もしこの時、この奥さんが自分の肖像画をルノワールに描かせていれば、現在では彼女が世界に知られることになっていたであろう。
  お目当ての絵が見られると心をときめかしながら絵を見て回った。しかし、ルノワールがずらっと置いてある中央の大広間の展示室にもお目当ての絵がない。さらに別の部屋を見回ったが、他のルノワールの絵はあっても、肝心の絵がない。最後に中世の絵の部屋を見たがとうとう見つからなかった。
  がっくりして、入口の係員に聞いた。入口に置いてあるパンフレットの表紙にはまさしく“コンサートにて”がのっている。それをさして、この絵はどこにあるか聞いた。答えは倉庫。現在一部改造工事中でそれが終わるこの7月にはまた展示するという。わざわざドイツからこれを見に来たと説明し見せてほしいと交渉したが日曜日のため担当がいないとのことで断られた。あきらめざるを得なく、他のルノワールを楽しんだことを満足に感じ美術館を出ることとした。
  美術館ロビーに書かれたスターリング クラークの言葉。“絵を鑑賞するための指導書はないですかとの質問をよく受けるが、これに対しては、あなたが自分自身でじっくり見て感じることそのものが絵を鑑賞することであり、指導書などありませんといつも答えています。”作者が誰であろうと自分の目で見て自分が気に入ればそれがすばらしいのであって、その道の大家がいろいろ理屈を並べて良さを勧めるからとか、有名な画家だからといって作品に接することほど馬鹿なことはないのである。音楽についても全く同じことが言え、このクラークの言葉は私には良く理解できる。
  帰り美術館の売店で気に入った絵はがきを買った。本物では独特の色彩鮮やかな絵がたくさんあったが、残念ながら絵はがきでは本物の色は出ておらず、やはり本物のすばらしさを認識した。しかし、我が家にある再生画“睡蓮”ではすでに何回か本物との比較をしており、限りなく本物に近く、家でも十分に味わえることを体験している。“コンサートにて”の場合はどうであろうか。今回は空振りに終わってしまったが、次の機会を楽しみに待ちたい。