1994年7月30日土曜日

鯨とトナカイ

ヨーロッパ最北端ノルトカップの白夜
  ヨーロッパもこの夏は猛暑に見舞われ、少しでも涼しい所に行きたいと、早い目に夏休みをとりノールウエーを訪れた。最北端のNordkappでは白夜を体験、さすがコートを着ないと寒い。真夜中に太陽は真北に移動するが沈まず、北極海水平線の上の所でまた東に向かって上昇を開始する。
  Nordkappには観光バス、キャンピングカー、などで集まった人で賑やかであるが、真夜中だけを楽しむため、午前1時を過ぎると観光客は少なくなりはじめ、2時頃にはキャンプする人以外はいなくなる。午前3時ごろはもうすでにお昼の感じで、ドライブしている道の回りにはトナカイの群れが見られる。回りは苔の様な植物しかなく、トナカイはもくもくと食べている。
  この最北端の地に4日間滞在した。Skarsvagといい、Nordkappから10kmの所、80軒ほどの小さな魚村であった。産業はなく漁業が生業。世界で最も北にある漁港とのこと。主な漁獲は鱈で、これを加工する仕事もしている。むかしは鯨もとっていたという。食べ物は魚、トナカイ以外は何もない世界で人間が生きて行くにはたいへんなことと想像がつく。
  食物に関しては食物連鎖としての体系が存在してはじめて生物は生きて行ける。この北の果てでは、結局、人間の生きる手だては、魚、鯨、それにトナカイであったと容易に理解できた。北極圏の原住民ラップ人はトナカイと共に生活し、その肉を食べ、皮を衣・住に使い、角は道具にも使った。トナカイは厳しい自然のなかでも苔を食べて生きて行ける。もし、トナカイという動物がいなければラップ人もこの地には存在しなかっただろう。
  ノールウエー人にとって、特に北極圏の人にとっては、魚、トナカイは重要な生きる手だてであり、鯨もその一つ。世界で鯨を食べるのは日本とノールウエーだけと言われているが、捕獲禁止の世界的流れの中で、特にノールウエーが規制案を無視しても鯨を捕獲する理由が理解できるような気がする。
  今までどちらかというと、世界的流れに対して同意していた面があるが、今回実際に北極圏に滞在し考えが変わった。鯨自身の再生産の可能な範囲で捕獲は許可されるべきではないかと考えるようになった。何がなんでも禁止ではその地区の特異性を無視することになり、公正な判断ではないと思う。
  物事にはなんでもその反対の見方があり、自然科学の世界では実証という手段により何が真実か有無を言わさず決着がつけられる。しかし、それ以外の世界では実証は不可能に近い。それ故、人間の傲慢さから起こる悲劇、トラブルがあとを絶たない。この傲慢さをコントロール出来るものはないかと考える。
  その一つは聞く耳を持つということではないか。聞く耳を持つとは、相手の意見をネホリハホリ聞いて、その欠点を探す姿勢を意味しない。その人の意見をまずは肯定的に受けとめ、その立場にたって根底にあるものの理解、欠点よりむしろ利点を見きわめることである。そのあと、客観的にそれぞれの考えの利点欠点をならべて議論につなげることを意味する。
  今の世の中では、議論はよくなされるが、本当の聞く耳を持つというプロセスが確立されていないため、結局は詭弁というリスクを秘めた論理的という名のもとに、傲慢な人の考えで物事は進んで行く。活性化した、創造的な社会・集団を作るには、この聞く耳をもつというプロセスをシステムとして取り入れる必要があるのではないかと思う。
  今回、北極圏内のノールウエーに実際滞在し、鯨問題をノールウエー人の立場で見ることができ、自分の理解の足りなさを感じた。それにしても、トナカイの肉、オスロの日本レストランで食べた鯨の刺身はほんとうにおいしいものであった。鯨の肉を味わったのは、おおよそ25年ぶりではないかと思う。