1993年5月30日日曜日

ゾーリンゲン

ゾーリンゲン近くブッパタール川に架かるドイツで一番高いミュングステン鉄橋
  先日の日曜日、ドライブの帰りにX線の発見で有名なレントゲンの生まれた町、Remscheidに立ち寄った。レントゲンの生まれた町は正確にはその一部のLennepで、この町に入る所に繊維機械のBarmag社がある。
  レントゲン博物館を見た後、隣町の刃物で有名なゾーリンゲン中心を通ってデュセルドルフに帰えろうとしたが、ゾーリンゲンの中心に入ったとたん車は動かなくなり、前方20m先に大群衆が見えてきた。トルコの国旗を振っている。トルコ人のデモであることが分かった。トルコ人の家が焼き討ちにあったことからこの数日前からトルコ人の抗議デモが増えている。その一つと思われた。数にして数千人はいると思われた。数10万人のこの町でこれだけのトルコ人が集まるということは、いかにドイツ国内にトルコ人が多いかを認識させられた。
  今までドイツ人がやりたがらない仕事を安い給料でこなしてきた彼らを、一般的には評価し労をねぎらう気持ちが支配的である。この数年外国の難民が大量に進入していることは事実であるが、現在のドイツの経済的苦境、失業率の高さの原因の矛先をトルコ人に向けるのは問題であると思う。日本でも外国労働者の問題は現実化しつつあるけれど、いずれ問題になればその原因を外国人のせいにすることは簡単に起こりそうである。
  いかにその国が人間を考えた民主社会かの判断はこのような極限になったときにどのような解決をはかるかで見きわめられる。ドイツは戦後の民主主義の一つの理想を変更する瀬戸際にあるように思う。
  難民の無制限受け入れを修正しだしたのもその一例である。その際には、ぜひ人間というものを第一に考えた方策を考えて欲しいものと考えつつ約30分ほど成りゆきを見ていたが、ポリスがバックせよとの指示をしたため後戻りし、別の道にて帰宅した。ストップしているとき、戻るときとも群衆に攻撃されないかと心配したが、みんな我々と同じ普通の市民であり何も問題はなかった。