レピア織機で有名なPicanol社はベルギーの西、北海に近いところIeperという町にある。ここはシートベルトで有名なイーパーバンド社の町でもある。
今月、Picanol社訪問の際、野原に幾つのも墓、町中心部への入口の門の壁に無数の人名が記入されているのを見ることができた。Picanol社の人に聞いたところ、第一次世界大戦にドイツ軍がはじめて毒ガスを使用したのがこの場所で、英国、フランス、USAなどの連合軍の兵士が多数亡くなったことから、このようなものが残っているとの説明であった。兵隊のみならず一般の人も巻き添えにあったと思うが。毒ガスといえば、インペリット(CH2CH2Cl)2Sが良く知られているが、このインペリットという名前はこのIeperからとったものと説明していた。
第一次世界大戦は、今問題になっているサラエボでの事件が発端となったが、もともとは世界的な領土の分捕り合戦のなかでのドイツと英国の対立が顕在化したもの。今から考えれば、新興資本主義国ドイツと先進資本主義国イギリスとの世界的領土分捕り合戦の対立であり、一般大衆にとっては何のための戦争であったか、私には無意味のものとしか思えない。
領土分捕り合戦のなかでドイツが初めて毒ガスを使用したことは、ドイツに対する他のヨーロッパ人の見る目は決して良いものではないと思う。Ieperを訪れるたびに、この悪夢の想いは人々の気持ちの中によみがえるものと思う。
以前にも述べたが、再発の防止はこの時の人間として感じた気持ちそのものが力になる。このような記念物は残すべきであり、もし残すのを避ける人がいるならその人は、その再来を夢見ている人と思わざるを得ない。この小さな町のまわりは平原でのどかな田園風景であるが、今はその昔の忌まわしい光景は想像すら出来ない。その平原の所々にあるお墓を見てはじめて昔の出来事があったと想像できる。