1994年6月30日木曜日

Kaufen(買い物)

  ドイツに駐在して3年半、生活にはすっかり慣れたが、まだ馴染まないことがある。それは、ドイツ料理と買い物である。幸いデュセルドルフに住む限り、値段さえ気にしなければ日本食の材料はほとんど手にはいるので、家では毎日日本食で過ごしている。いつも出張の時に困るのであるが、中華料理にしたり、イタリア料理にしたりしてなんとかやっている。しかし、買い物は依然として大変である。特に、着るものの買い物は、サイズが合わずぴったりしたものを見つけるのは至難の技である。

  赴任してから新しく家を借りた。家具はゼロからのスタートであった。ドイツではお店は平日は6時半まで、土曜日は午後2時まで、もちろん日曜日は完全に休み。家族が来るまでの間は、プライベートの買い物は唯一土曜日だけであった。東京での買い物とは全く違うため、これほど不便を感じたことはない。また家具は注文生産がほとんどで、結局我が家に家具がそろったのはちょうど一年後であった。

  この夏一時帰国するつもりであったが、都合で延期した。このためちょっと困ったことがある。一時帰国時、日本で服をまとめ買いしてくるつもりであったので、最近は辛抱して古い服を着ていた。やむなく服を探しに歩いている。唯一の買い物の日は土曜日であるが、この土曜日も出張、出張者のフォローなどでつぶれることが多く、実際には月に一度くらいしかチャンスはない。

  また困るのは寸法が合わないこと。たまに23、44というサイズの服が見つかると少し柄などが気に入らなくても買わざるを得ない。最近うろうろしてようやく服を買いつつある。先日も、パリの大きな百貨店プランタンまで車で日帰りしたが、残念ながら私の寸法のものはなかった。しばらくは、フリーの土曜日は着るものの買い物に使わざるを得ないと思っている。

  ドイツの人も今の店のシステムには不便を感じているとは思うが、本来ヨーロッパでは日曜日は完全に休みなので、土曜日の午後2時閉店は、日本人が感じるほど異様とは映らないのかも知れない。パリは土曜日も午後7時~8時まで開店しており、ドイツに比べてまだ買い物はしやすい。

  お店の人も休みたいというのは当然のことで、それを法律できちっと守らせるという点、ドイツらしいと思う。自由主義のなかで、なんでも自由ではなく、自分の権利を主張したければ、他人の権利も尊重するという極当然のことを法律で規定していると理解は出来るが、やっぱり私にとっては買い物には不便な国と映る。

  日本の便利さを知っているから不便に感じる。もし知らなければこれが当然として受け入れるのかも知れない。日曜日も開いて欲しいという気持ちもあるが、さすがキリストの世界では気が引ける。

  生まれて育った環境は自然に身について体が覚えてしまっている。生まれ育った時の価値観を変えることは難しいとつくづく思う。論理的に考えれば当然なのだが。日本での便利さは、一部の人の犠牲のもとに成り立っているという事実もドイツに住んで初めて認識した。