ヨーロッパの祝日はキリスト教に関係するものがほとんどである。しかし国によって祝日は異なっている。日本では考えられないことであるがドイツでは州によっても異なっており、暦にはこの祝日はどこの州が休みか必ず記入されている。この11月も1日は万聖節(Allerheiligen 、カトリックでお祝いする日が決められていないその他の聖人達をまとめて祝う休日) はデュッセルドルフでは休日であるがベルリンでは休日ではない。また水曜日の20日は懺悔と祈祷の日(Buss-und Bettag)として全国的に休日であったが、今年から疾病保険休日の増加により祝日から除かれることになった。これら祝日の他に昔の聖人を偲ぶいろいろなお祭りがあり、その一つに11月11日のマルティン祭がある。
11日の前夜10日(マルティンアーベントという)、子どもたちは学校などで自分で作った思い思いの提灯を手に持って町内を歩く。各家庭の玄関先でマルティンをたたえる歌を歌い、そのあとその家の人からお菓子をもらうのである。すでに11月のヨーロッパは日が極端に短くなり暗いどんよりしたうっとうしい雰囲気になるが、それをはねのけるように提灯をもって歩くことが子どもたちの年間の楽しい行事の一つとなっている。今年はたまたまその夜日本からの出張者をデュッセルドルフの旧市街であるアルトシュタットを案内、ちょうどこの子どもたちの行列を見ることができた。その夜はデュッセルドルフ郊外のレストランで夕食をとったが、この日は特別料理の鵞鳥づくし。前菜からスープ、主菜まですべて鵞鳥。もちろんホアグラも含まれていた。
マルティンはローマ帝国時代現在のトルコに当たるところで、寒さで凍え死にそうな人に出くわし、自分のマントを半分切って与え助けたとのことでこの聖人をたたえこの祭りが行われているという。子どもたちの行列には馬に乗ったマルティン役の大人がこの真っ赤なマントを着ることになっている。この聖人をトゥール大司教にすべく人々が探したが、本人はそのような地位につくことを固辞し隠れていた。しかし、鵞鳥がガーガーと鳴いてマルティンの居所を教えたということから、この時期鵞鳥を食べることになったという。もう一つ理解のできない理由付けがなされているが、実際にはこの時期最も脂がのっておいしことから鵞鳥を食べるのが真相らしい。
小さいときからマルティン祭を楽しみ、歌を歌いながら家々を回り人間として身につけなければならない当たり前の価値観を無意識のうちに子供に学習させている。この習わしはキリスト教世界でいかに子供を育てるか、その一面を見るように思う。
ドイツで11月唯一の祝日となった11月1日の万聖節、今年は金曜日になり土曜と日曜で3連休となった。1日から2日にかけて先祖の魂が戻ってくるとされお墓参りをすることになっている。ちょうど日本のお盆と同じ習わしである。しかし、駐在している我々はこの休みを利用して旅行に出かけることが多い。ドイツへ来た年も3連休になり家族で初めてのロンドン・パリ旅行をしたのを覚えている。いままで行っていない所はと探したところ、アイルランドが残っていた。今年はすでに子供達は日本へ帰国してしまったので、夫婦二人で秋深まるダブリン、ベルファーストを訪れることになった。
アイルランドでは11月1日は祝日ではなく通常通り店は開いていた。北アイルランドのベルファーストとアイルランド共和国のダブリンは電車で約2時間半。ベルファーストの方がダブリンよりぎやかでアイルランド共和国の人々が車・電車で買い物に簡単に出かけている。ベルファースト中心部のシティセンター通りには武装した警官、甲装車が警備にあったている光景を見て、アイルランド紛争は事実と認識する。しかし、町中は活気が見られ武装警官がいなければ紛争など気づくことはない。
ちょうど山並みをはさんで北アイルランドとアイルランド共和国は別れており、その国境近くの北アイルランド側の町にはユニオンジャックが掲げられ、ここからイギリスと知らしめているようである。世界の至る所で解決の糸口が探せない紛争がたくさんあるけれど、そのうちの一つがアイルランド紛争。こちらの方は人種問題よりも昔ながらの宗教戦争である。その根源はクロムウルのアイルランドへの新教による侵略、その時の残虐な行為が未だに尾を引いている。
元々カトリックの国であったアイルランドはその後新教たるイギリスの支配になり長い間独立のための戦いが始まる。ようやく第二次大戦後アイルランド共和国の独立が認められたが、新教の人たちが多い北地区はそのままイギリスに残り分断状況となり現在に至っている。しかし、アイルランド共和国では国旗に描かれているように、95%のカトリックと新教とが融和するように三色になっており理念はあくまで融和。北アイルランドでは逆に新教が大多数でカトリックは表面上では差別はないというが潜在的に差別があるという。このような現状から、北アイルランド独立の運動がいまだに続き、テロ事件が続発している。
世の中5%の極端なものがいれば、その反対の極端なものも5%おり、20%はどうするか迷っている人、そして残り70%は無関心な人との分析をした人がいるが、このような紛争の発端はこの極端な5%の人間のなせる技。5%で全体を動かすには結局は相反対する極端な5%を抹殺すれば後の90%をコントロール出来るという方法論。そのやり方は、ごり押したる武力的方法、あるいは詭弁をたっぷり含んだ理論整然たる発言で反論を許さない言論抹殺の二つの方法があるようである。
クロムウェルによるイギリス新教の清教徒革命はこの二つの方法論を駆使して達成されたもののような気がする。それ故まもなく反動でこの革命も続かず、本格的な市民革命は結局名誉革命まで待つことになったのではないか。このクロウムウェルが犯した大きな過ちが今もアイルランドの人々を苦しめていると言える。
同じキリスト教の世界でマルティンとクロムウェルと歴史に名を残した人物がいる。国を越えた多くの人々の共感が得られるからこそマルティン祭は続いているものと思う。しかし、クロムウェル祭はイギリスではありえてもイギリス以外の国ではあり得ない。ましてやアイルランドでは拒否されるだろう。より広い世界で、より長い目で物事を見て、普遍的な判断が出来る人間になりたいものとつくづく思う。