「今日も熱が下がらない。もともとの風邪はすっかり直ったというのに。」東京女子医大に通ってすでに2週間が経過。医者はいろいろ検査するけれど何の異常もないという。もう駐在員としての赴任は難しいかも知れない。赴任予定日からこの2週間、一応有給休暇で休んだことにしているが、このまま回復しなければいつまで休めるのか、などなど頭の中は混乱を極めていた。ところが数日後の朝、何故か体が軽く熱が下がっていた。即会社に電話を入れ飛行機の手配をし、アンカレッジ経由デュッセルドルフ行きの飛行機に乗った。1990年12月19日のことであった。
入社当時は海外事業華やかな時。必ず海外での仕事があるというので英会話を習おうかと思っていた矢先、会社の方針は大変換。海外事業から続々撤退すると同時に、海外留学・語学留学などの制度も全くなくなってしまった。その後20数年、国内関係の仕事にすっかり没頭し、外国語との縁は完全になくなってしまっていた。また自慢にもならないが、海外出張もなく、海外旅行もない生活であった。ところが、突然44歳間近になってヨーロッパ駐在員という辞令。すでに老眼の進んでいるものが何故。全く予期していなかった海外への転勤、それも工場勤務ではなく駐在員とは。これから何が起こるかさっぱり見当がつかないという不安が無意識に体のバランスを崩させたようである。
初めての海外旅行がヨーロッパ駐在員としての赴任の時。来てみれば当然経験したことのないことばかり。特に赴任した季節が悪かった。毎日曇りと雨のぐずついた天気。朝は9時すぎにようやく明けて、夕方も3時過ぎには暗くなってくる。北陸の12月の雰囲気よりまだ暗い。寝泊まりした安ホテルは天井が高くて窓の少ない、まるで監獄のよう。いきなりクリスマス休暇になりレストランまで閉店のため食事にも困った。
新たに家を借りることになったが、電話取り付けを依頼しても何回もすっぽかされた。家具も予定通り配達されずイライラがつのった。しかし、寒い冬が過ぎて春になるとようやく家族との生活が始まり、時間と心の余裕が出来るようになった。さらに1年間の生活体験を経過するとヨーロッパでの当初のカルチャーショックは消え去り、また言葉のストレスも無くなっていった。結局は、人間は同じ、ただ生まれ育った環境のために食事、習慣、言葉などの文化が異なるだけと思えるようになった。
ヨーロッパでのカルチャーショックは難なく解消されたが、全く予期していなかった小さな日本人集団でのカルチャーショックの方が大きな衝撃を与えた。異国文化の違いは体験によりある程度慣れることが出来るが、生き方に対する貧しい価値観には同化することは難しい。このショックがこの小さな集団での活動に大きな影響を及ぼすことになったが、一方では外向きの活動に没頭するパワーを生み出すもとにもなった。ドイツ・フランス・スイス・オーストリア・ベネルックス・イギリスはいうに及ばず、北はノルトカップ、北極圏、西はポルトガル・スペイン・アイルランド・ネス湖、東はポーランド・チェコ・スロバキア・ハンガリー、南はイタリア・シシリー島など仕事にプライベートに車でヨーロッパ中を走り回った。わがベンツとレンタカーで30万Kmは走ったであろうか。
ヨーロッパの美しい街角、きれいに保存された自然、余裕のある豊かな生活環境を身を持って体験すると共に、一方では歴史的には不正と大変な破壊と非人道的残虐行為なども繰り広げられたことも見せつけられた。宗教戦争、領地分捕り合戦、2度の世界大戦、ナチスによるホローコースト、公害問題、最近では社会主義東欧諸国で噴出したいろいろな問題など。現在の豊かな社会はこれらの大きな犠牲のもとに成り立っていると認識せざるを得ない。
このような人間の負の歴史はヨーロッパではようやく克服されたようであるが、発展途上国では今なお続いている。産業が導入され一部の人は豊かさを享受しているが、その一部の人の不正がはびこり、ほとんどの人々は、戦争の犠牲、劣悪な環境、貧困のなかでの生活を余儀なくされているのが現実である。発展途上国もヨーロッパ諸国が歩いた道をまた繰り返しているようである。
不正、破壊、犠牲のない社会発展を遂げるにはどうすればよいのかとつくづく考えてしまう。人それぞれいろいろな面での向上心を持っている。自分をよりレベルの高い所へ持っていきたい。その目標に邁進し目的を達成し、それにより何らかのよりよい境遇を得る。それが自分の生活を豊かなものにすると考える。しかし、本当の向上心とはそのようなものだけなのだろうか。今までの歴史を見てみるとこのような価値観だけが支配的であったがために、結局はいろんな負の歴史も作り出していったのではないか。
「人間のもつ向上心とその努力は、世界の人々の幸せに役だってこそ価値があるのであって、自分のためだけ、あるいは自分の名誉だけに向けられるならそれは非常に悲しい結果となる。」
日本では官僚・有力企業の不正・腐敗構造が続々と公にされてきている。日本という国が精神の世界ではいまだに後進国のままであるとの印象を強く受ける。仕事の世界でも新しい価値観が求められているように思う。五十にして天命を知るというけれど自分の力量を見極めながら、7年弱におよぶヨーロッパの生活体験を心に秘め、これからも精いっぱい励んでいきたいと思う。
入社当時は海外事業華やかな時。必ず海外での仕事があるというので英会話を習おうかと思っていた矢先、会社の方針は大変換。海外事業から続々撤退すると同時に、海外留学・語学留学などの制度も全くなくなってしまった。その後20数年、国内関係の仕事にすっかり没頭し、外国語との縁は完全になくなってしまっていた。また自慢にもならないが、海外出張もなく、海外旅行もない生活であった。ところが、突然44歳間近になってヨーロッパ駐在員という辞令。すでに老眼の進んでいるものが何故。全く予期していなかった海外への転勤、それも工場勤務ではなく駐在員とは。これから何が起こるかさっぱり見当がつかないという不安が無意識に体のバランスを崩させたようである。
初めての海外旅行がヨーロッパ駐在員としての赴任の時。来てみれば当然経験したことのないことばかり。特に赴任した季節が悪かった。毎日曇りと雨のぐずついた天気。朝は9時すぎにようやく明けて、夕方も3時過ぎには暗くなってくる。北陸の12月の雰囲気よりまだ暗い。寝泊まりした安ホテルは天井が高くて窓の少ない、まるで監獄のよう。いきなりクリスマス休暇になりレストランまで閉店のため食事にも困った。
新たに家を借りることになったが、電話取り付けを依頼しても何回もすっぽかされた。家具も予定通り配達されずイライラがつのった。しかし、寒い冬が過ぎて春になるとようやく家族との生活が始まり、時間と心の余裕が出来るようになった。さらに1年間の生活体験を経過するとヨーロッパでの当初のカルチャーショックは消え去り、また言葉のストレスも無くなっていった。結局は、人間は同じ、ただ生まれ育った環境のために食事、習慣、言葉などの文化が異なるだけと思えるようになった。
ヨーロッパでのカルチャーショックは難なく解消されたが、全く予期していなかった小さな日本人集団でのカルチャーショックの方が大きな衝撃を与えた。異国文化の違いは体験によりある程度慣れることが出来るが、生き方に対する貧しい価値観には同化することは難しい。このショックがこの小さな集団での活動に大きな影響を及ぼすことになったが、一方では外向きの活動に没頭するパワーを生み出すもとにもなった。ドイツ・フランス・スイス・オーストリア・ベネルックス・イギリスはいうに及ばず、北はノルトカップ、北極圏、西はポルトガル・スペイン・アイルランド・ネス湖、東はポーランド・チェコ・スロバキア・ハンガリー、南はイタリア・シシリー島など仕事にプライベートに車でヨーロッパ中を走り回った。わがベンツとレンタカーで30万Kmは走ったであろうか。
ヨーロッパの美しい街角、きれいに保存された自然、余裕のある豊かな生活環境を身を持って体験すると共に、一方では歴史的には不正と大変な破壊と非人道的残虐行為なども繰り広げられたことも見せつけられた。宗教戦争、領地分捕り合戦、2度の世界大戦、ナチスによるホローコースト、公害問題、最近では社会主義東欧諸国で噴出したいろいろな問題など。現在の豊かな社会はこれらの大きな犠牲のもとに成り立っていると認識せざるを得ない。
このような人間の負の歴史はヨーロッパではようやく克服されたようであるが、発展途上国では今なお続いている。産業が導入され一部の人は豊かさを享受しているが、その一部の人の不正がはびこり、ほとんどの人々は、戦争の犠牲、劣悪な環境、貧困のなかでの生活を余儀なくされているのが現実である。発展途上国もヨーロッパ諸国が歩いた道をまた繰り返しているようである。
不正、破壊、犠牲のない社会発展を遂げるにはどうすればよいのかとつくづく考えてしまう。人それぞれいろいろな面での向上心を持っている。自分をよりレベルの高い所へ持っていきたい。その目標に邁進し目的を達成し、それにより何らかのよりよい境遇を得る。それが自分の生活を豊かなものにすると考える。しかし、本当の向上心とはそのようなものだけなのだろうか。今までの歴史を見てみるとこのような価値観だけが支配的であったがために、結局はいろんな負の歴史も作り出していったのではないか。
「人間のもつ向上心とその努力は、世界の人々の幸せに役だってこそ価値があるのであって、自分のためだけ、あるいは自分の名誉だけに向けられるならそれは非常に悲しい結果となる。」
日本では官僚・有力企業の不正・腐敗構造が続々と公にされてきている。日本という国が精神の世界ではいまだに後進国のままであるとの印象を強く受ける。仕事の世界でも新しい価値観が求められているように思う。五十にして天命を知るというけれど自分の力量を見極めながら、7年弱におよぶヨーロッパの生活体験を心に秘め、これからも精いっぱい励んでいきたいと思う。
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