1995年1月30日月曜日

Hochwasser(洪水)

1年前のライン川洪水
  神戸の大地震はヨーロッパでも約一週間にわたって各テレビ局のトップニュースとして報道され、そのすさまじさは戦争の空襲後の様相と重なるものとの印象を与えた。燃え続ける神戸市内、崩壊した家屋、傾いたビル、倒れた阪神高速道路、阪急伊丹駅の電車の惨状、下敷きになった人を捜索する住民などなど。
  この惨状のなかで少なくとも18日のニュースまでは救助隊の活動、消火作業の画面は見られず、ようやく19日になって、水がチョロチョロの中での消防隊の活動、わずかな自衛隊の動きなどが映し出された。その後日本の新聞を見て出動が遅れたり、他府県からの救援も遅れたことを知り、即刻充分な救助活動がなされておれば、犠牲者をもっと少なく出来たのではないかと考えないわけにはいかなかった。
  神戸地区に震度7クラスの地震が発生するとの想定をしていなかったと云われている。想定を越える災害発生のため、全国から救援を求める敏速な手続きが出来ず、その決定が遅れてしまった。また、道路渋滞のため救援隊が現地に到達出来ない、消防活動の訓練も現実にはあわず、震度7での予知管理訓練が欠けていた。神戸地区の地震は震度5までと決めつけていたことが大きな原因と云われている。
  確かに過去の実績からすれば充分との判断であるが、自然はそう簡単ではない。自然科学の世界は現象を単純化、平均化して、現象を理解するのに成功しているが、実際はもっと複雑で変化に富む。バラツキを考慮した理解方法はスタートしてまだそれほど年月は経っていない。工学設計の世界ではそのバラツキの部分を安全率との概念で逃げている。神戸地区も震度7を想定した防災対策が事前に実施されておれば災害はもっと小さく押さえられたのではないか。
  新聞に出ていた話に、ある地震学者が神戸地区でも震度7は有り得ると主張していたとのこと。結局は少数意見で発生の確率は小さいとの判断で、震度5という想定になったのではないかと思う。最も研究されなければならないのは、たとえ1%の確率でも起こり得る時、どう判断するかという点である。神戸での震度5と決定に至ったプロセスを徹底的分析して、誤った決定に至ったのはなぜか研究する事も重要ではないか。それをふまえて、関東地区で想定されている震度6は適切なのか再検討し、建物、道、救助体制、避難方法などの見直しをすべきと思う。
  しかし、現在の東京地区の混雑状況ではおそらく今回と同じ震度7になれば大きな災害は避けられないのではないかと心配する。結局は都市の分散化が課題となり、ドイツのような機能分散の国作りを進めることが究極の対策のような気がする。
  今、我が家のそばを流れるライン川は外側堤防下2mの所まで増水している。フランス、ベルギー、ドイツにかけて、この1月下旬から大雨の日が続き河川が増水、ドイツではワインで有名なモーゼル川、ライン川が氾濫し、コブレンツ、ケルンでは床上まで浸水している。また先日訪問したルクセンブルグにあるタイヤメーカー技術センターのそばの川も氾濫していた。我が家近くのライン川はいつもは内側堤防の範囲内で川幅約350mであるが、増水により川幅は1000mに達した。内側と外側の堤防の間にあるテニスクラブ、レストラン、屋外プール、畑はすべて水の中、家庭菜園用小屋は水に浮かんで流れている。

1994年12月30日金曜日

Weihnachten(クリスマス)

  「Die auf diesem Flug angebotenen Mahlzeiten enthalten kein Schweinefleisch.」(この飛行機で出される食事には豚肉は含まれていません。)ドイツからイスタンブールへ向かうルフトハンザ航空の機内食説明書のコメントである。

  今回はじめてトルコを訪問する機会があった。豚肉の好きなドイツ人も乗客には多いと思うが、イスラム教の人のためにルフトハンザは気を配っている。日本人のような雑食人種にとって、何故イスラム教では豚肉を食べてはいけないのか、こんなにおいしい物が食べられないのはかわいそうといいたくなる。特殊世界にだけ通用する戒律であり、その普遍性はないと感じる。

  宗教とは人の精神的支えになるものではあるけれど、逆に人の活動を規制する役目も持っているようだ。信じれば、自由の制限ではなく、それが自然のことと受けとめることになるのだろう。トルコはイスラム教の戒律から比較的自由な世界に見えたが、たまに、目以外は完全に黒装束の女性も見られ、初めて見るものにとっては異様な感じを受けた。もっといろんなおしゃれが楽しめるのにと思う。

  しかし、おせっかいというものなのだろう。人はそれで満足していれば他人はとやかく云うことはないというのも道理である。もし、助言を求めてきたときにはご意見を差し上げるのが良いと思いつつドイツへ戻った。

  先日、レンブラント派の絵画展がミュンスターで開催されているというので訪れた。デュッセルドルフから東北150kmの所にある古い町である。この町の中心にランベルティ教会がある。15世紀に完成したその聖堂には、90mの尖塔がそびえている。この塔の大時計の上の窓に鉄製の篭が三つぶら下がっているのが見られた。これは1534年~35年にこの町を支配した再洗礼派の首謀者3人が処刑され、見せしめのためにその死体を入れてぶら下げた鉄篭という。処刑は焼きゴテで突き刺す方法だったといい、キリスト教という宗教の世界での非人間性を示す例の一つであると感じた。

  再洗礼派は、乳児期に受けた洗礼は本当の洗礼ではなく、真のキリスト教者になるには、成人した後もう一度自覚的に洗礼を受けなければならないと主張する。宗教改革当時このミュンスターではルター主義にとどまらず、ラジカルな再洗礼派に支配された。この時、カトリックもルター派も弾圧する側となって攻め込み、まもなくこの一派を追放した。そして、その指導者3人が処刑されたという歴史である。

  宗教とは人間の内的精神的苦悩を助けるものとして存在価値があるが、それが権力化すると逆に人を苦しめるように働く。自我の確立以前に宗教を教え込まれるとそれを信じ、三つ子の魂百までと云うように、その価値観を変えることは非常に難しい。自分の信じることが絶対正しいと思いこみ、それがいろいろなトラブルのもととなる。

  この意味で、再洗礼派の主張する所はよく理解できる。乳児期に一方的に洗礼させ信じ込ませるのは盲信につながり結局は、再洗礼派の首謀者が受けたような非人間的な行為にまで至るのだろう。もちろん再洗礼派にも過激な行き過ぎがあったことも一因にあると言われているが。

  12月のヨーロッパは極端に日が短く暗い雰囲気になるが、その暗さをはねのけるように、街角、家にはクリスマスのイルミネーションが美しく映えている。クリスマスマルクトは毎日、子供も大人も沢山の人々で賑わっている。宗教というものが個人の自我を奪い去るものではなく、自由な雰囲気の中での自己の確立を助けるものであってほしいと思う。

1994年11月30日水曜日

豊かさ

  2年前ギリシャへ行ったおり、アテネの飛行場での出来事である。チェックインして搭乗まで待合い室に座っていた。ほぼ待合い室は満員。その一般通路に一番近いところに座っていた。まもなく、車椅子に乗った体の不自由な男の人が入ってきた。その車椅子には台がついており、その上にはピスタチオなどの乾燥豆のパックしたものがたくさん並べられていた。
  車椅子を自分で動かし、まずは最も近くに座っていた私の所へ来た。すでにおみやげに沢山すぎるくらいのピスタチオを買ってしまっていたので、いらないよとのしぐさで断った。すぐに横へ移動して行ったが、私以外の人はほとんどがその豆を買っていた。
  一巡したところで通路を通りかかった紳士がお金をさしだした。その紳士は品物はいらないとのしぐさをして、品物を受け取らずにお金だけを渡そうとしたところ、その瞬間不自由な言葉で一生懸命に何かを言い続けて、不自由な手でお金を払いのけてしまった。明らかにお金だけでは受け取れないとの意思表示であった。まもなくその紳士はお金を拾い上げてその場を去って行った。
  私は何の意識もなしにピスタチオを買うのを断ったが、すべての人が買い物をしたのを見て後悔の念が出てきた。が、不必要なものを買うのも彼の意に合わないとして思い直した。
  所かわって、ドイツでは体の不自由な人のための設備が至るところでみられ、街角ではよく車椅子の人、体の不自由な人が出かけているのを見かける。ドイツに初めて来た当時、日本に比べて体の不自由な人の多い国だなと勘違いしていた。実は、体の不自由な人の為の設備が行き届いているから、外出が可能なだけなのだ。
  地下駅、地下道には専用のエレベータがある。体の不自由な人もこの完備された設備のおかげで自立できている。それから感心するのは、電車を降りるとき、階段を使うときなど、その近くに通りかかった人、居合わせた人が必ずと言っていいほど、手伝いをしている。当然のことのように、自然になされている。
  先日、デュッセルドルフで日本人のための自動車事故救助講習会があった。口による人工呼吸のところで、”出血が見られ、エイズの不安がある時どうすればよいのか”との質問が出た。これに対してドイツ人講師は、ドイツ人には説明は簡単であるが、日本人の方に説明するのは非常に難しいとしてお茶を濁してしまった。私たち日本人からすれば全く的を得た質問であり、明確な回答を期待していた人が多かったと思う。しかし、キリスト教の有名な話、良きサマリア人の価値観からすれば質問自体が誠に次元の低いものであり、ドイツ人講師はそれを言いたかったのだろうと感じた。
  ドイツは経済的にも豊かな国の一つであるが、心の面でも豊かな国と思う。ドイツのみならずヨーロッパ全体に言えるようであるが。このような心の豊かさは宗教の影響が大きいのは確かである。しかし、それに加えて、子供時代の生活体験も重要な役割をはたしていると私は考えている。日本も外見的な生活は豊かになったが、心の豊かさでは後進国に甘んじているようだ。益々エスカレートする小学校からの塾通いでは、これからも知識だけが豊富な秀才タイプはどんどん生産されるけれど、心豊かなクリエイティブな人材は期待できそうにない。
  ポーランドに駐在していたある商社マンから最近聞いた話。昔どこかのワンマン社長夫人がポーランドを訪問したとき、その当時乳飲み子に与える牛乳でさえ不足している所で、牛乳を集めさせ牛乳風呂に入ったという。 また、日本の新聞に載っていた話。大学教授の職を捨て18年間、貧困のネパールの無医村で医療活動に従事していた岩村昇さんの体験談「巡回先の村で結核の重症患者を見つけ治療が出来ず困り果てていた時、患者を背負い三日三晩かけて診療所に運んでくれた行きずりの荷物運搬人の言葉が忘れられない。”生きるとは弱き者と分かちあうことだ。”男は謝礼を受け取ろうとはしなかった。」。
  論語読みの論語知らずが多いこの世の中で、市井にこそ論語知りがいるように思う。

1994年10月30日日曜日

礼状

  こちらから招待したわけではないけれど、この夏我が家は娘二人の友達が同時期に滞在し、てんやわんやで誠に忙しい日々を過ごした。4人家族が一時的に6人家族になり、その中で男性は私だけ。二人のお客様は誠に可愛らしく、滞在の間我が家は華やかで賑やかな毎日となった。

  しかし、華やかな日々を過ごした反面、毎日仕事が終わればすぐに帰宅し車で各所を案内、また土日も車でパリ、フォンテーヌブロー、ベルサイユなどフランス各所を案内、睡眠不足と気疲れ、とくに事故、トラブルがあってはならないと気を使うためたいへん疲れた。最終日、ご両親様宛、滞在中の様子を手紙に書きそれぞれに託した。

  デュッセルドルフのホテルニッコーからフランクフルト空港行きバスに乗せ見送り、何のトラブルもなく無事帰っていただいて安堵した。すぐに二人から、それぞれ自分自身で書いた礼状が届き、たいへん喜んでもらえたようでうれしく感じた。

  その後まもなく、一方のご両親からは丁重な礼状をいただきたいへん恐縮するとともに、私たちの心労が報われた。実は、心の中ではご両親からの返事を期待していたのであって、手紙を受け取ることによりすべてが完了したと思えた。しかし、もう一方のご両親からは二ヶ月たった今でも何の連絡もない。一件終了とは思えず、まだ何か続いているような感じである。

  ヨーロッパでの有名な話しではあるが、その昔フランスで子供がチョコレートをもらったとき子供はすぐにお礼を言ったが、側にいた親は何も言わなかったという。そこには子供も立派な人格として認め、子供がもらったのであって親がもらったのではないという、親子でも個人が優先するという考え方がある。個人主義の一つの例であり、なるほど一つの考え方でもある。ものごとは考え方一つで判断はかわるという例かもしれない。

  日本で生まれ育った私にとっては、子供はすべての面で親の保護にあるとの考えが身に滲みており、フランスでのこの話しは感覚的に馴染まない。しかし、自分の気持ちの整理には大いに使える考え方であり、返事はまだかと思いつつ、このお家はおそらく西欧風の考え方で生活しておられるのだろうと理解することで気持ちも落ちつく。もう手紙がくることはないと思う。

1994年9月30日金曜日

パヴァロッティ

  9月3日の日曜日のお昼間、テレビZDF(Zweites Deutsches Fernsehen、ドイツのNHKに相当するテレビ局の一つ)でDie drei Teneoneという番組が一時間半にわたって放映された。これは、この夏アメリカで開催されたワールドカップサッカーの催物の一つで、その時の録画放送であった。

  Die drei TeneoneとはCarreras, Domingo, Pavarottiをさす。いずれも今を代表するテノール歌手である。この三人が、ロスアンジェルスの野球場特設会場に集まり、テノールの美声を披露した。Carreras, Domingoはスペイン系の人、Pavarottiはイタリア人、いずれもラテン系の人々。テノールの音域はラテン系の人々に向いているのか。その響きは天にも届きそうな迫力である。

  Pavarottiは、10年程前CDを買って以来聴いて楽しんでいる。もともとイタリア民謡が好きで、自分でも真似ごとで歌ったりするので、CDが開発されたときぜひそのたぐいの曲の入ったCDを買いたいと思っていた。その時買ったのがPavarottiであった。それ以来、彼の声の美しい音色に魅せられてしまった。高音Cがピアニシモで響く。テクニックもさることながら、音色は、私には世界で最も美しい声ではないかと感じられる。今回、三人が並んで歌ってみて、この気持ちを確認することが出来た。ドイツに来て、Domingo, Carrerasの二人はよくテレビで見ているが、Pavarottiをテレビで見るのははじめてでもあった。

  イタリアの撚糸機メーカーにRattiという会社がある。この会社の技術責任者にGrazioliというおじさんがいる。背は私より低いが胸幅は大きくいかにも現場のおじさんという感じの人である。

  技術検討の後、私はカンツォーネが好きで、例えばといいながらTorna a Solentoを歌いだすと、この彼がすごいテノールで歌いだした。その歌声は完全にベルカント唱法のテノール。わたしは歌うの忘れて、聴きほれた。イタリアでは、彼のようなテノールは至るところにいると聞いている。ちょうど日本では演歌をプロ並みにうまく歌う人がたくさんいるように。イタリアではテノールが演歌歌手に相当しているようだ。その頂点に立つのがPavarottiであろう。

  しかし、彼と同じくらいのレベルの歌手はたくさんいるのであって、彼でないと歌が楽しめないということはない。なんでも、その道の知名度の高い人だけがその道の第一人者とは限らず、紙一重で有名になっていない人、あるいはむしろ知名度NO1よりも実力のある人はたくさんいるものである。

  スポーツのように勝負で決まる場合は順位ははっきりするが、人間の感覚で判断する世界、音楽、絵画などはあるレベル以上になると判断は出来ず、好みの世界になる。たとえその道の権威者が素晴らしいとほめたたえても、自分が気に入らなければ、その人にとってはなんの価値もない。まったく個人で判断すれば良いことである。有名だからという理由だけで、また権威者が推奨するからと好きでもないのに聴きに行くことほど意味のないものはない。音楽を楽しむのに知名度NO1の人でないと出来ないことはないのである。

  私がPavarottiのような歌を聴いていても、我が娘は全然無関心である。車で運転しながら聴いていると、後部席から自分の好みのテープを差し出してかえてくれという。私にとってはこの音楽を理解してくれないのが残念であるが、ある意味では自分で気に入ったものを楽しむ、他人がするから、他人が勧めるからではなく自分で判断していることにうれしくも思い、娘の要望に従ってテープをかえることになる。

  今月、Rattiを訪問したとき、すでにGrazioliさんは定年退職し、会社にはいなかった。もう一度彼のテノールを聴きたいと思っていたが残念である。が、それと同時にヨーロッパに滞在する間に、ぜひともPavarottiの生の歌声も聴きたいと思っていた。しかし、前もってミラノスカラ座のPavarottiの出演する日を調べ、切符を手に入れることはかなり難しいようである。それよりも、先日出張の飛行機の中で雑誌を読んでそんなことを考えるのはやめることにした。Pavarottiはすでにあの美声で何百億円の財産を築いているという。馬鹿らしくなった。これからも自分で歌って楽しむことにしようと思う。

1994年8月30日火曜日

グラーシュズッペ

  ハンガリーで連想するもの、リスト、ハンガリー動乱、それにグラーシュズッペ。オーストリア南東部グラーツに近い国境から車でハンガリーに入った。
  広大なハンガリー平野に、ひまわり畑と国道が続く。田舎の建物の様相がオーストリアのものと変わる。古びた家が多く、オーストリアの美しく飾られた建物とは趣が異なる。車も急に古びたものが多くなり、特にトラバンド、スコダ、ラーダなど旧東欧製が目につく。道路工事の所も多く、随分良くなったような印象。改修された所と、そうでない所との差が大きいので判断できる。無鉛ガソリンが無いのではないかと心配していたが、それは無用であった。国道沿いには立派なきれいな新しいガソリンスタンドが出来ており、いつでも入手可。以前、前任者から聞いていた話しとはまるで違う。これら新しい道、ガソリンスタンドとは対象的に、田舎の人々の生活は大変質素のように感じられた。リストのハンガリー狂詩曲を口ずさみなら、ハンガリーで一番大きなバラトン湖に沿ってドライブし、高速道路に入った。
  この高速道路は南の方から首都ブタペストにつながっている。ブタペストは田舎とは雰囲気を異にしている。ほとんど西欧の町と変わりはない。商品は結構そろっており、またファーストフード店がすごい。マグドナルドは云うに及ばず、ピザハット、ダンキンドーナツ、ケンタッキーフライドチキンなどずらり。これは日本とかわりないではないか。ドイツよりアメリカ化されている。マツダ、ベンツなどの自動車販売営業所も多く見られる。古い建物の内部では、至るところで内装工事中で、おそらく事務所、商店、ホテルなどになるのだろう。
  地下鉄の古い路線は、ヨーロッパではロンドンに次いで出来たという。ちょうど東京の銀座線のように、車体は古く、小さく、道路のすぐ下を走っている。しかし、新しい路線は大きな車体で美しい。値段はひと乗り25フォリント(約25円)と非常に安い。一方滞在したホテルはツインで270DMと結構高い。どうも物価はアンバランスになっているようである。若い女性はファショナブルで美しく華やかに町を闊歩しているが、一方では質素な出で立ちの人も大変多い。
  1989年の変革の後、右派政権による経済改革が進められ、その結果が新しいガソリンスタンドであり、ファーストフード店の林立であり、西側諸国の自動車販売営業所であろう。しかし、4年経過して、GDP成長率マイナス2~5%/年、失業率12%、財政・貿易収支大赤字との結果であった。表面的な華やかさと、大衆の生活実態の格差、都市、特にブタペストと農村との格差が大きくなりつつあるようだ。
  このためか、この度の総選挙では右派政権は過半数をとれず、旧社会主義労働者党の社会党が4年ぶりに政権に復帰することになった。新首相ジュラ・ホルン氏はハンガリー動乱当時、政府の治安部隊のメンバーであったという。しかし、今の資本自由化の流れは止めることは出来ないのではないか。資本主義と社会主義の融合したような新しい体制作りを模索せざるを得ないのではないかと思う。
  ブタペストでの楽しみは、オペラ、オーケストラ、それにグラーシュズッペであった。ドイツでは、グラーシュズッペといえば、煮込みシチューのようにドロドロしており結構辛い。本場では、少しあっさりとしておりむしろ甘味を感じるほどマイルドな味で、美味であった。ドイツではドイツ人好みに工夫されているようである。食べ物はやはり本場で食べるのが一番。スパゲッティはイタリア、パイリャはバレンシア、ピルスビールはピルゼン、そしてグラーシュズッペはハンガリーである。
  ウィーンに向かう帰りの高速道路は途中で終わり、後は普通の国道となる。国境近くで、厚化粧した女性がポツリ、ポツリと道端に立っているのを見た。グラーツから入った田舎の国境ではこのような光景は見られなかったが、ウィーンという観光大都市に近いこともあって仕事が成り立っているようだ。貧しいことが原因なのだろうか。

1994年7月30日土曜日

鯨とトナカイ

ヨーロッパ最北端ノルトカップの白夜
  ヨーロッパもこの夏は猛暑に見舞われ、少しでも涼しい所に行きたいと、早い目に夏休みをとりノールウエーを訪れた。最北端のNordkappでは白夜を体験、さすがコートを着ないと寒い。真夜中に太陽は真北に移動するが沈まず、北極海水平線の上の所でまた東に向かって上昇を開始する。
  Nordkappには観光バス、キャンピングカー、などで集まった人で賑やかであるが、真夜中だけを楽しむため、午前1時を過ぎると観光客は少なくなりはじめ、2時頃にはキャンプする人以外はいなくなる。午前3時ごろはもうすでにお昼の感じで、ドライブしている道の回りにはトナカイの群れが見られる。回りは苔の様な植物しかなく、トナカイはもくもくと食べている。
  この最北端の地に4日間滞在した。Skarsvagといい、Nordkappから10kmの所、80軒ほどの小さな魚村であった。産業はなく漁業が生業。世界で最も北にある漁港とのこと。主な漁獲は鱈で、これを加工する仕事もしている。むかしは鯨もとっていたという。食べ物は魚、トナカイ以外は何もない世界で人間が生きて行くにはたいへんなことと想像がつく。
  食物に関しては食物連鎖としての体系が存在してはじめて生物は生きて行ける。この北の果てでは、結局、人間の生きる手だては、魚、鯨、それにトナカイであったと容易に理解できた。北極圏の原住民ラップ人はトナカイと共に生活し、その肉を食べ、皮を衣・住に使い、角は道具にも使った。トナカイは厳しい自然のなかでも苔を食べて生きて行ける。もし、トナカイという動物がいなければラップ人もこの地には存在しなかっただろう。
  ノールウエー人にとって、特に北極圏の人にとっては、魚、トナカイは重要な生きる手だてであり、鯨もその一つ。世界で鯨を食べるのは日本とノールウエーだけと言われているが、捕獲禁止の世界的流れの中で、特にノールウエーが規制案を無視しても鯨を捕獲する理由が理解できるような気がする。
  今までどちらかというと、世界的流れに対して同意していた面があるが、今回実際に北極圏に滞在し考えが変わった。鯨自身の再生産の可能な範囲で捕獲は許可されるべきではないかと考えるようになった。何がなんでも禁止ではその地区の特異性を無視することになり、公正な判断ではないと思う。
  物事にはなんでもその反対の見方があり、自然科学の世界では実証という手段により何が真実か有無を言わさず決着がつけられる。しかし、それ以外の世界では実証は不可能に近い。それ故、人間の傲慢さから起こる悲劇、トラブルがあとを絶たない。この傲慢さをコントロール出来るものはないかと考える。
  その一つは聞く耳を持つということではないか。聞く耳を持つとは、相手の意見をネホリハホリ聞いて、その欠点を探す姿勢を意味しない。その人の意見をまずは肯定的に受けとめ、その立場にたって根底にあるものの理解、欠点よりむしろ利点を見きわめることである。そのあと、客観的にそれぞれの考えの利点欠点をならべて議論につなげることを意味する。
  今の世の中では、議論はよくなされるが、本当の聞く耳を持つというプロセスが確立されていないため、結局は詭弁というリスクを秘めた論理的という名のもとに、傲慢な人の考えで物事は進んで行く。活性化した、創造的な社会・集団を作るには、この聞く耳をもつというプロセスをシステムとして取り入れる必要があるのではないかと思う。
  今回、北極圏内のノールウエーに実際滞在し、鯨問題をノールウエー人の立場で見ることができ、自分の理解の足りなさを感じた。それにしても、トナカイの肉、オスロの日本レストランで食べた鯨の刺身はほんとうにおいしいものであった。鯨の肉を味わったのは、おおよそ25年ぶりではないかと思う。