ベーリングさん(ポーランド国境で待つ)
この12月最初の日曜日、3日はAdvent(降臨節)である。正式にはクリスマスシーズンはこの日から始まるのであるが、すでに町のクリスマスマルクトは一週間前から人々で賑わっている。この日は各所でバザーなど催しものが行われ、そこでローソクのついた飾りを買う人が多い。ちょうど正月前の注連飾りのように。クリスチャンではないけれど、Dueseldorf近くの小さな町Lankのバザーで大きなローソクのついた飾りを2つ買い求めた。一つは自宅のテーブルの上を飾り、もう一つは大家さんにクリスマスプレゼントとしてさしあげた。まだ買っていなかったと喜んでもらえた。
今年は11月早々にクリスマスプレゼントとしていただいたワインがある。これが最後の挨拶とも知らず、あまりにも早いプレゼントに疑問を持ちつつ、そのお返しを考えた。結局日本のものがよいと思い、博多人形をプレゼントすることにした。さっそく買い求め、もう少しクリスマスが近づけば訪問し手渡す考えでいた。
11月29日、チェコを訪問し自宅へ帰ったとたん、電話が入った。「Schlechteste Nachricht(最悪のニュース)」と電話のドイツ人が言う。続いて、「Tod(死)」と聞こえた。その早いプレゼントの送り主、Wellingさんの突然の死の連絡であった。
12月4日、気温はマイナス数度、この冬一番の冷え込みの日、午後1時20分からDueseldorfのSuedfriedhofの教会にて葬儀がとりおこなわれた。ドイツで生活して初めて葬儀に立ち会った。祭壇には花輪が置かれその真ん中に棺が置かれていた。聞くところによると彼の宗教はEvangelisch(プロテスタント)という。前もって花屋さんに依頼しておいた花輪には大きな白いリボンがかけられ、そこには“Als letzter Grusse”(最後のお別れに)と書かれていた。教会内は200人ぐらいであっただろうか、椅子に座れきれず立つ人でいっぱいであった。この5月、Wellingさんと一緒に援助物資を運んだポーランドの孤児院のご主人と子ども二人も車で急遽駆けつけていた。半年ぶりの悲しい再会であった。
賛美歌に始まり、牧師さんが死者を弔い、その後バリトンとコーラスによる鎮魂歌、そして友人3名が追悼の辞を読む。また賛美歌を歌う。パイプオルガンと歌の厳粛な音が教会に響いた。教会での儀式の後、棺を先頭に参列者全員が墓地までゆっくりと歩き、深く掘られた墓地に棺がそのまま安置された。一人づつ棺に対し最後のお別れをする。この時頭を下げる人、持参した花束を添える人、篭に入れられた花びらを添える人などまちまちであった。私は花びらをそえ深く頭をさげ、亡き人を弔った。人間として何が大切で価値あるものか、実践によって教えてくれた人Wellingさんは、市井の偉大な人物の一人であったと思う。
12月10日は次のAdvent。さらにもう一つローソクを灯す。そして、また一週間後さらにもう一つ、最終的に4つのローソクが灯されるとクリスマスとなる。博多人形は梱包されたまま我が家にそのまま置かれている。もうしばらく置いておいて、落ちつけば未亡人に手渡すつもりである。自分の死を予想してのプレゼントだったのか。Wellingさんからいただいたワインはこのクリスマス休暇に故人を偲びながらゆっくり飲むつもりでいる。
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