とうとう7回目のクリスマスを迎えることになった。このシーズン、昼間が極端に短くどんよりした空が続くので、6年前の12月デュッセルドルフに赴任した時、なんと陰気な所との初印象。さらには前任者との引継もしないうちにクリスマス休暇に入り店が開いていないことから食べるのも困るなど楽しい思い出は一つもなかった。
その次のクリスマスは家族とともにローマで過ごしたがやはり店がほとんど閉まり、乗り物もすべてストップ、名所を歩いて回り不便さばかりを感じた。唯一心地良い思い出はバチカン内でクリスマス特別ミサに参列、ローマ法王のすぐ前でお煎餅を口にしたことである。ローマ法王のすべてを包み込むような表情には心がなごむ思いであった。クリスチャンでもないのにお煎餅を口に入れてもらったのであるが、実をいうと列席の最前列にいたものだから醜態を見せてはいけないと隣の人のまねをしただけであった。これはクリスチャンだけに与えられるものと後で聞いた。なにか珍しいものがあれば宗派などお構いなしに首を出したがる。日本人そのもの、後であきれかえった。
そうこうしているうちに6年がたって暗いのは当たり前と体が覚えてしまい、むしろ暗い中にクリスマスのイルミネーションがきれいに感じるようになった。住めば都、時間が人を慣れさせてくれるようである。そして、12月の25日、26日は家でゆっくりするのがクリスマスの過ごし方とようやく悟り、それ以後旅行はクリスマスのあとでかけることになった次第。
12月に入ると日本ではべートベンの第9交響曲のシーズンとなる。本場ヨーロッパではこの習慣は全くない。むしろ宗教的な曲が演奏され、しかも教会内のコンサートが催されることが多い。先日もデュッセルドルフの隣の町、メアーブッシュのセントステファニス教会のコンサートを聞くチャンスがあった。曲は時期的によく演奏されるバッハのクリスマスオラトリオ。今までCDで何回も聴いているが、教会でしかも生の演奏を聴くのは初めてであった。ソプラノ、アルト、テノール、バスのソロはプロの歌手、管弦楽はこの町の住民から選ばれたアマチュアの人々。そして合唱はこの教会を中心に活動している合唱団であった。もちろんパイプオルガンも備えた教会であるが今回の演奏はなし。バイオリンなどの音とともにチェンバロの響きが気持ちよく教会内に響いた。このオラトリオはクリスマスに関係するキリスト教のいろいろなお話をアリア、歌い語り、合唱、管弦楽を使い演奏会形式で表現する。これが発展し劇を演ずるようになったのがオペラである。キリスト教のことはもう一つ理解できないけれど、音楽は聴いていて気持ちよい響きを与えてくれる。人類の文化の一つとして今後も世界の人々を楽しませてくれるのだろう。
もう一つクリスマスに忘れてはいけない催しものがある。年間を通じて12月だけ演じられるオペラ、それはフンパーディングの「ヘンゼルとグレーテル」である。あの有名なグリム童話のオペラ版である。日頃オペラには小さい子供は皆無であるが、この時ばかりはオペラハウスは子供達で誠に賑やかになり、まるでキンダーガルテン。魔女がでてきたり、食べられそうになったり、それぞれの場面で子供の歓声が上がる。普段のオペラではあり得ないことである。そして多い組み合わせは、おじいさん、おばあさんと孫の組み合わせ。お父さん、お母さんと同伴の子どもたちは少ない。子どもたちが初めて見るオペラがこの「ヘンゼルとグレーテル」、成長するにつれてこの思い出をもとにオペラに親しんでいくのである。その最初の案内役がおじいさん、おばあさんというのがヨーロッパの受け継がれた習慣のようである。
クリスマスマルクトで有名なニュールンベルグ。昨年大変寒い中クリスマスイブを前にして訪れ、グリューワイン、レイプクーヘンを食べ、おみやげに教会合唱隊人形など買った。ドイツの雰囲気は十分経験させてもらった。今回はヨーロッパ生活最後のクリスマスであろうと思い、パリにいく予定である。もちろんクリスマスイブの前にである。ドイツとは違ったクリスマスの風景が見られるか興味あるところである。
その次のクリスマスは家族とともにローマで過ごしたがやはり店がほとんど閉まり、乗り物もすべてストップ、名所を歩いて回り不便さばかりを感じた。唯一心地良い思い出はバチカン内でクリスマス特別ミサに参列、ローマ法王のすぐ前でお煎餅を口にしたことである。ローマ法王のすべてを包み込むような表情には心がなごむ思いであった。クリスチャンでもないのにお煎餅を口に入れてもらったのであるが、実をいうと列席の最前列にいたものだから醜態を見せてはいけないと隣の人のまねをしただけであった。これはクリスチャンだけに与えられるものと後で聞いた。なにか珍しいものがあれば宗派などお構いなしに首を出したがる。日本人そのもの、後であきれかえった。
そうこうしているうちに6年がたって暗いのは当たり前と体が覚えてしまい、むしろ暗い中にクリスマスのイルミネーションがきれいに感じるようになった。住めば都、時間が人を慣れさせてくれるようである。そして、12月の25日、26日は家でゆっくりするのがクリスマスの過ごし方とようやく悟り、それ以後旅行はクリスマスのあとでかけることになった次第。
12月に入ると日本ではべートベンの第9交響曲のシーズンとなる。本場ヨーロッパではこの習慣は全くない。むしろ宗教的な曲が演奏され、しかも教会内のコンサートが催されることが多い。先日もデュッセルドルフの隣の町、メアーブッシュのセントステファニス教会のコンサートを聞くチャンスがあった。曲は時期的によく演奏されるバッハのクリスマスオラトリオ。今までCDで何回も聴いているが、教会でしかも生の演奏を聴くのは初めてであった。ソプラノ、アルト、テノール、バスのソロはプロの歌手、管弦楽はこの町の住民から選ばれたアマチュアの人々。そして合唱はこの教会を中心に活動している合唱団であった。もちろんパイプオルガンも備えた教会であるが今回の演奏はなし。バイオリンなどの音とともにチェンバロの響きが気持ちよく教会内に響いた。このオラトリオはクリスマスに関係するキリスト教のいろいろなお話をアリア、歌い語り、合唱、管弦楽を使い演奏会形式で表現する。これが発展し劇を演ずるようになったのがオペラである。キリスト教のことはもう一つ理解できないけれど、音楽は聴いていて気持ちよい響きを与えてくれる。人類の文化の一つとして今後も世界の人々を楽しませてくれるのだろう。
もう一つクリスマスに忘れてはいけない催しものがある。年間を通じて12月だけ演じられるオペラ、それはフンパーディングの「ヘンゼルとグレーテル」である。あの有名なグリム童話のオペラ版である。日頃オペラには小さい子供は皆無であるが、この時ばかりはオペラハウスは子供達で誠に賑やかになり、まるでキンダーガルテン。魔女がでてきたり、食べられそうになったり、それぞれの場面で子供の歓声が上がる。普段のオペラではあり得ないことである。そして多い組み合わせは、おじいさん、おばあさんと孫の組み合わせ。お父さん、お母さんと同伴の子どもたちは少ない。子どもたちが初めて見るオペラがこの「ヘンゼルとグレーテル」、成長するにつれてこの思い出をもとにオペラに親しんでいくのである。その最初の案内役がおじいさん、おばあさんというのがヨーロッパの受け継がれた習慣のようである。
クリスマスマルクトで有名なニュールンベルグ。昨年大変寒い中クリスマスイブを前にして訪れ、グリューワイン、レイプクーヘンを食べ、おみやげに教会合唱隊人形など買った。ドイツの雰囲気は十分経験させてもらった。今回はヨーロッパ生活最後のクリスマスであろうと思い、パリにいく予定である。もちろんクリスマスイブの前にである。ドイツとは違ったクリスマスの風景が見られるか興味あるところである。
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