先月はほとんど出張でつぶれてしまったが、今月に入っても引き続き出張が続き、ようやく16日夜家に帰宅した。食事の後、たまっている日本の新聞とともに、ドイツの新聞Rheinische Postを読んでいると、3月14日付け新聞に新約聖書コリント人への手紙の言葉を引用した死亡記事を見つけた。
Glaube, Liebe, Hoffung diese drei, aber am grössten ist die Liebe Korinther Dr.med.Hubert Johannes Steinkamp *4, Oktober 1927 †6, März 1997 Ich betrauere den Tod meines Mannes Herr,Dein Wille geschehe Dorothea Steinkamp Die Beerdigung hat in aller Stille stattgefunden |
信仰、愛、希望 しかし、この3つの中で 最も偉大なのは 愛である コリント人への手紙 医師 フーベルト ヨハネス シュタインカンプ 1927年10月4日生 1997年3月6日没 私は夫の死を弔い 神の御心に従います ドロテア シュタインカンプ 葬儀は内々にとり行われた |
ちょうど6年前の3月末、家族がデュッセルドルフにやってきた。妻はその後子供の学校の手続き、家具荷物の整理などに忙しく過ごしていた。ところが2週間経った金曜日の朝腹痛を訴えた。しばらく様子を見るため私はそのまま出勤したが、夜帰宅するとますます痛みは激しくなるという。ちょうど右下腹が痛むという。
それで、会社の秘書の自宅に電話を入れたところ、すぐに彼女のホームドクターに電話を入れてくれ、その診療所に出向いた。原因が不明のため取りあえず痛み止めを処方し、薬局で購入し帰宅し様子を見ることになった。しかし、夜になっても痛みはおさまらず、さらには熱も出だした。家庭医学の本で調べると、症状は全く虫垂炎と思われた。
翌日土曜日、診療所は休みであるが、朝になり秘書からその医者の自宅へ電話を入れてもらった。医者は休みにもかからわず診療所に来るようにとの指示。さっそく見てもらい、これは虫垂炎に違いないとの診断となり、救急病院外科への入院の段取りなどしてくれた。
さて、病院では手術するには白血球のチェックが必要とのことでさっそく血液検査を受けた。結果は白血球の増加なし。医者はこれでは手術は出来ないとしてまずは入院して様子を見ることになった。そして土日と病院で過ごしたが、腹痛もやわらぎ、発熱もなくなったので退院した。
しかし、火曜日になるとまた腹痛、発熱し、再度入院。白血球はやはり増加なしとのことで手術はせずそのまま入院した。腹痛は続くが、熱が高くなれば解熱剤をくれるだけで、検査はするけれど治療は全然なし。2週間入院していつのまにか腹痛もなくなり結局原因不明のまま、治療も受けず退院することになった。
退院するにあたって医者からホームドクター宛手紙が託された。それにはなんらかの感染症で原因は不明との記載であった。さっそく診療所に出向き対応をお願いした。結局薬が処方され、それを飲んで一週間後また来なさいとなった。
すでに健康な状態に回復していたが、医者の指示に従って食後その薬を飲んだ所、急にふるえと血の気がなくなり嘔吐し寝込んでしまったため、それ以後その薬を飲まないことにした。一週間経って再度検査を受けたところ、薬を飲んでいないだろうと指摘され事情を説明した。薬の量を半分にしてのむようにとの指示で、また一週間のみ続けようやくその医者の全快のお墨付きをいただいた。
少々話が長くなりすぎたがこのような出来事が昨日のことのように思い出された。この思い出のお医者さんがシュタインカンプさんである。当時はドイツへ赴任した時必ず身体検査を受けることが必要で、その時初めて接したのがシュタインカンプさんであった。その身体検査を受けてすぐにまた妻が病気でお世話になるとは予想していなかった。まだドイツへ来たばかりでどうすれば良いのかさっぱり分からない中で、休日にもかからわず診療所に出てきていただき、本当に救われる思いであった。
その後我が家のホームドクターとして毎年の健康診断を受け続けた。しかし、ドイツ人と日本人では体格の違いか、基準が違うようで、たとえばコレステロール値が260でも問題ないという。健康診断書を東京の医師に送り見解を聞くと問題との指摘。妻の場合も薬の量が日本人には多すぎた。やはり日本人の体は日本人医師がよく知っていると判断し、3年前マーストリヒトに日本人医師による健康診断所が開設されたため、それ以後マーストリヒトに通うようになった。このためしばらくお目にかかることはなかった。
本帰国する前には、お会いし挨拶をしてからデュッセルドルフをあとにしようと思っていたが、かなわないことになってしまった。当時のことを思い出すと感謝してもしきれない思いである。せめて、イースター明けに夫人宅を訪問しお世話になった感謝の言葉とお悔やみを伝えるつもりでいる。
シュタインカムさんの人生の指針は愛であったのだろうと思う。シュタインカンプさんのご冥福をお祈りしつつ。
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