1997年4月30日水曜日

ゲーテインスティテュート

  4月1日、私の後任がデュッセルドルフに着いた。デュッセルドルフの飛行場が初めての出会いであった。私より随分若く我が事務所もどんどん若返って行く。翌日銀行口座の開設、日本領事館への登録、日本人クラブへの登録、外人局への登録など手続きはスムースに進んだ。ミュンヘン行きの飛行機まで少し時間があったので、さっそくベンツの店へ行き車を品定めした。新型のEタイプがあり、この車を購入する方向で検討することになった。すぐ飛行場に向かい、彼はミュンヘン経由プリーンへ向かった。これから1ヶ月間ゲーテインスティチュートでドイツ語の研修を受けるためである。25日までは学生気分でドイツの生活にまずは慣れることから始まる。
  6年半前、私がドイツへ赴任したときのことが思い出される。赴任したとたん、湾岸戦争が始まり本社から飛行機の出張中止指示があり、前任者との出張はほとんどなく前任者はそのまま帰国した。その年も5月にフランクフルトでテックテキスティルが開催され、当時は我が事務所ですべて準備していたものだから、メッセ業者との打ち合せなどで大変忙しくしていた。
  また6月にはドルンビルン学会のフォローなど仕事は目白押しであった。このためか当時の上司の判断でドイツ語研修は夏休みまで延期され、ドイツ語研修は結局夏休みも兼ねて行くことになった。いつもは前任者が帰国した直後の月に行くことになっている。研修の間は他の駐在員がカバーすることが前提になっていると説明を受けていた。それが何故か私の場合はカバー出来ないとの判断であろうか。結局7ヶ月後にドイツ語研修を受けることになったのである。
  すでに家族が来ていたので、毎週土日は研修場所のローテンブルグから車で帰宅し家族と共に過ごし、また日曜日の夜にローテンブルグに戻るという生活であった。土日デュッセルドルフに戻った時事務所にも寄り、一週間分の仕事も済ませた。研修を受けつつほとんど仕事もこなすという生活であった。しかも上司からは月報も提出するようにとの指示で月末それら仕事の内容を書いて提出したのを覚えている。とは言え毎日授業は14時で終了することから時間的に余裕があり、久しぶりに学生気分を味わえ楽しい思い出となった。
  しかし、苦い思い出もある。その年の7月7日の日曜日、デュッセルドルフ日本人学校の運動会がラインスタジアムであった。我が娘も出るため家族で出かけた。学校の催しというよりもデュッセルドルフの日本人集団のお祭りのようなもの。とにかく日本の雰囲気を十分に楽しんで翌月曜日の朝3:30デュッセルドルフを出て、ローテンブルグに向かった。ローテンブルグ近くになってすごい霧に出くわしアウトバーンの出口が分からない。予定より随分走って急に出口が見えた。すぐに出るべくハンドルを切ったがスピードは落ちておらず出口カーブのガードレールに擦ることになった。後から分かったのであるがローテンブルグの出口から3つの出口を見過ごしていた。ガソリンも少なくなっていたので近くのガソリンスタンドでガソリンを入れてもとの出口に戻ったところポリスが来ていた。おそらく誰かが電話をしたのだろう。事情聴取となり、事故証明書を発行してもらい若干遅れたがドイツ語の授業を受けた。
  授業の後近くのベンツ営業所へ行くと数日で修理可能とのことで、まもなく元通りの車になった。事故証明のおかげで経費は保険でまかなわれた。すでにヨーロッパ中を我が車で22万Km走り、さらにレンタカーも入れると30万Kmは走っただろうか。車に関する唯一の苦い、そして貴重な体験となった。
  そして家族との夏休みは一週間ほど家族をローテンブルグに呼びドイツ語研修を受けながら過ごすことになった。授業が終わってから車でクレクリンゲン、ビルツブルグ、アンスバッハ、ディンケルスビュールなどドライブ、土日はミュンヘン、ノイシュバンシュタイン城など回り、初めてドイツの観光名所を見て回った。ヨーロッパのお城、中世の町並み、延々と続く平原など新鮮で印象深かった。ドイツ語研修から戻ると、ITMA91デレゲーションの準備などでまたまた忙しい日々に戻った。
  その後、新任者のドイツ語研修は前任者が帰国した後すぐ実施することで続いている。1980年代と違ってわが社もグローバル化が叫ばれ各自それぞれ担当分野で忙しく動き回っており、研修中の新任者のカバーは必ずしも出来ていない。そういう事情で、今回はドイツ語研修を済ませてから引き継ぎを進めるという方式を試すことになったもの。
  後任のドイツ語研修もまもなく終わりいよいよ引継がはじまる。まだ私の帰任先は決まらず実感がわいてこないが、引継の準備と帰国の段取りをしなければならない。この6年半の間一時帰国を何回か段取りしたけれど結局は実現しないままとなった。私の日本時計は1990年12月のままとなっている。そろそろ日本時間にあわせるべく準備をしなければと思う。

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