デュッセルドルフの北30kmにあるエッセンという町はルール工業地帯の中心的町として有名であるが、この町に澤田さんという御夫妻が住んでおられる。ドイツに住んですでに28年、ご主人はエッセン交響楽団のホルン奏者、奥さんはバイオリニストである。お二人とも東京の音楽大学を卒業した後、ケルンの音大でさらに勉強され、現在はそれぞれの分野で活躍しておられる。
特に親しくなったのは、ご主人と私が全く同い年、そして出身が京都であったためである。話をするうちに、中学校の時の一学年上の友達で音楽高校から東京の音大へ進んだ人がいると話を持ち出したところ、澤田さんの友達でもあることが分かり、ますます身近に感じるようになった。
その友達は中学時代からブラスバンド部でホルンを習い、当時合唱部にいた私と放課後はよく顔を合わせていた。中学卒業後ホルン奏者になるといって京都の音楽高校へ進み、そこで澤田さんとも友達になったという。当時彼のお母さんはチンドン屋のラッパ吹きぐらいにはなるかもと謙遜しておられたが、その後読売日本交響楽団のホルン奏者として活躍、私も彼がテレビに出演しているのを何回も見て楽しませてもらっていた。今彼はどうしてますかと聞くと、交響楽団をやめて現在はドイツとの文化交流関係の仕事をしていると聞いた。
エッセン交響楽団は、普通の演奏会の他にエッセンオペラハウスでのオペラ演奏にも出演する。エッセンオペラハウスはデュッセルドルフオペラハウスのように専属歌手はおらず、合唱団以外の歌手はすべて客演で興行している。それぞれの演目に応じてそれを得意とする歌手を招くので、デュッセルドルフよりも聞きごたえがあるという意見も多い。
昨年、澤田さんご自身が演奏するオペラに招待していただいた。演目はワーグナーの“神々の黄昏”。有名なバイロイト祝祭劇場落成記念公演のために作曲された“ニーベルングの指環3部作”の最後の曲である。ラインの川底の世界にある黄金から作られた指環を手に入れれば世界の権力を手に入れることが出来るとのことからラインの神々が獲得合戦を演じ、神々の孫ジークフリートの活躍をからめ、ジークフリートも悪巧みにより殺されるなど結局は争いにより神々が没落、その黄金の指環はもとのライン川底の世界に落ちつくというゲルマン民族の神話物語である。
延々6時間、その間主演の歌手はほとんど歌いづめ、さらにはオーケストラも演奏づめ。幕間の休憩の時、ロビーに澤田さんがわざわざ私に会いに来てくれた。こんなに長時間演奏し続けで疲れませんかと聞いたが、プロですからと軽くいなされた。
ワーグナーはホルンを効かすのが得意で、特にこの曲ではワーグナー自身が考案したという特殊なホルン、ワーグナーチューバを使う。チューバとホルンを組合わせたもので荘重な音色が出る。実際、澤田さんもオーケストラボックスの中で、普通のホルンとこのワーグナーチューバを使い分けしながら演奏されていた。
6時間もの長時間公演にもかからわずその音の魅力に引きずり込まれた。ホルンが華々しく響く曲であり、ホルン奏者の活躍できる数少ない曲の一つである。それ故招待してくれたものと思う。
それ以後時間の出来たときにはデュッセルドルフのみならずエッセンのオペラにも通うようになった。今年に入って、プッチーニの“蝶々夫人”がこのエッセンオペラハウスで演じられるというので見に行った。特にこのオペラには思い出がある。高校生の時初めて見たオペラがこの“蝶々夫人”だったからである。当時二期会の中沢桂、友竹政則などが演じていたように記憶する。今回、“蝶々夫人”を演じた歌手は日本女性のしぐさを見事に研究しており、誠に日本女性らしく演じていた。
しかし、どうしても着物、舞台などは日本と違和感があり、日本人が舞台を作り、衣装を担当することが必要と思われた。とはいえ、本場の“蝶々夫人”を見て声量といい、演技力といい、当時の日本人が演じたものとは格段に聞くものの心をとらえた。当時の日本の公演も日本の一流の人たちではあったが、オペラという文化では層の厚さの違いを感じざるを得なかった。
3年程前、デュッセルドルフオペラハウスの馬場ちひろさん出演のオペラを鑑賞させてもらったが、その後彼女は契約出来ず現在はフリーで研鑽しておられる。また同じような境遇の女性歌手も何人かデュッセルドルフで生活しておられる。音楽の世界で生きていくのもなかなか大変との現実も身近に見せられている。
私の中学時代の友達もすでに演奏家としての仕事から離れたと聞く。本場ヨーロッパでもプロとして生きて行くには才能はもちろんのこと、それプラス、強運も大変必要なようである。私自身は才能がないから素人として演奏したり歌ったりして楽しんでいる。才能がないことからかえって気楽に音楽を楽しめる境遇になったといえる。
なぜか我が娘は中学以来ホルンを吹いたり、バイオリンを弾いたりしている。我が娘を通じて澤田さん御夫婦と知りあいになることになった。これからも澤田さんご夫妻が出演される演奏会にチャンスがあれば出かけて、音楽を楽しませていただこうと思っている。